づれづれ草

コラム「づれづれ草」について
北九州で農業にたずさわる渡辺ひろ子さんの個人紙『私信 づれづれ草』からの転載です。2007年6月、30年続けた酪農に自ら終止符を打ったとのことですが、農業にはこれからもかかわっていくと、日々の思いを気丈に綴っています。
挿絵も渡辺さんが描いています。
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口蹄疫

 酪農を廃業していて本当によかったと思います。連日の報道に胸が痛むけれど、やっぱりどこか他人事でいられます。
 最初に宮崎で口蹄疫が出たというニュースを見た時、これほどの事態になろうとは、誰も思わなかったですよね。10年前の発生の時は何戸かの農家での発生で収束したし、BSEの時も、大騒ぎした割には発生戸数は広がらずに終わったし・・、だから今度も・・・などとみんなどこかで楽観視する気持ちがあったと思います。
 ところがどっこい、養豚農家に入ってから、殺処分対象頭数がどんどんどんどん拡大して、聞くのも恐ろしい数になっています。
 「殺処分」なんて簡単に表現するけど、牛や豚を一頭殺すのだって、プロじゃなければ、そりゃあ大変な作業です。それが十万頭だ、二十万頭だ、というのだから、もう、想像を絶する事態が宮崎では起きているということです。政府が宮崎県に「殺処分が遅い」と文句を言っているようだけど、そんならお前らが行って、牛や豚を殺してみろよ、です。
 殺処分を実際にやっている獣医師や県職員などに不眠や食欲減退などの症状が出ているといいます。そうだろうな、と思います。
 もう、20年以上前になるかと思いますが、台湾で口蹄疫が発生して、数週間で台湾全土の畜産を壊滅させたことがあり、その時のビデオを見た記憶があります。ユンボで大きな穴を掘って、そこにダンプに積載してきた牛や豚の死骸をドドッと落とし、ブルドーザーでガーッと土をかぶせて踏み固めていました。
 目を背ける光景でした。今、宮崎であれと同じ光景が毎日繰り広げられているのだと思うと言葉もありません。
 口蹄疫という病気は感染しても死亡率はそんなに高くなく、治療すれば回復する率は高いといいます。しかし、伝染力が強く、感染すると、餌を食べれなくなるので、やせる・肉質が落ちる・乳量が減るなど経済性が著しく損なわれるという理由から、「一頭でも発生したらその農家は全頭殺処分」と法律で決められているのです。「経済動物」として生まれてきた宿命として、今、宮崎では牛や豚が殺されています。
 それは仕方のないことなのだけれど、私たちが好きなものを好きなだけ食べたい時に食べられる、そんな世の中を維持していく陰で無為な死を強制されるいのちがあることを忘れないでいたいと思うのです。
 福岡県でも、畜産関係者はピリピリしています。車のタイヤ消毒。靴裏消毒。
 でも、空気感染するとか、黄砂に乗って飛来するとかいろいろ言われて、そうなると防御にも限界があるわけで、「来たら来た時のことよ。仕方あるかい」
 こういう楽天性が百姓のいいところなのかも・・・と思います。
 それにしても、東国原さん、ついてないねえ。知事に就任した直後に鳥インフルエンザ発生で走り回り、その後、彼の頑張りで宮崎県の農産物を全国に売り込んだら、口蹄疫発生で一気に畜産壊滅。
 「あ〜あ、こんなことなら去年の衆議院選挙に知事やめて出とけばよかったよ」な〜んて内心ぼやいているんじゃないのかなぁ。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.25(2010.5.31発行)より転載

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バカ貝

 連休に長女が子どもたちを連れて帰省して、「今年こそは貝堀りに行きたい」と言います。残念ながら今年もアサリは全然ダメだというと「マテ貝でいい」とやる気満々。
 お金を取らない所があると聞き、そこに行きましたが、予想以上の人出。マテ貝より人の方が多いんじゃないの?というくらい。さすが連休、さすが無料。マテは少ししか採れなかったけど、バカ貝と呼ばれる丸っこい二枚貝がザクザクいて、でも誰も採らないから食えないのだろうと思っていました。でも、チビ孫が「貝、あったよ」「また、貝、あったよ」とバケツに投げ込むのを無下に捨てるわけにもいかず、とりあえず持ち帰りました。
 長女がネットで「バカ貝」を調べたら、食べられるが、砂がとても多いので100回水洗いして、茄でて身を取り出して、よく広げて更に砂を洗う事と書いてあったそうです。
 「100回洗う?冗談じゃない。捨ててしまえ」というのに、娘はせっせと洗って茄でてひとつひとつ身をなでて砂を流してくれまして、マテといっしょに鉄板で焼いて食べました。けっこううまかったです。
 長女の食い物に対するこの熱意と労を惜しまぬ姿勢が他のことにももっと生かされるといいのになあ。


 バイトに行ってるY牧場の裏に今年も子ギツネが4匹そだっています。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.25(2010.5.31発行)より転載

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鳥日記

 4月の始め、朝の犬の散歩の時、すぐ近くの農業用水池の土手をちょこちょこ動き回っている見慣れない小鳥を発見。犬の散歩の時はカメラもスケッチブックも持てない。こういう時に見慣れない鳥を見たら、その特徴を声に出して言ってみることにしています。そうすると、見ただけより、帰ってから図鑑で調べる際に格段に分かりやすいのです。
 で、その見慣れない鳥の特徴は「頭、真っ黒。首から腹にかけて白。胸、レンガ色。背から尾にかけて真っ黒。翼は黒に白い縦長の模様。大きさ、スズメくらい」
 これだけはっきりと特徴をとらえたら、もうばっちりだ!と急いで帰って図鑑を開きました。いた!これだ!これ以外にいない!と思ったのが「ノビタキ」。
 しかし、しかししかし、ノビタキの説明を読むと「夏鳥(本州以北)」と書いてあるのです。ええーっ、違うのか?ノビタキじゃないのか?本州以北ということは九州にはいないってことだろ?
 迷った時には鳥師匠三丸さん。
 「ああ、それはきっとノビタキですよ。夏鳥(本州以北)ということは、夏を本州以北で過ごすために南の方から今、渡ってきている途中なんです。」
 な〜るほど。目からウロコです。鳥図鑑とはそういうふうに読むのか!
 ノビタキを見たのはこの時一度だけです。小さな翼を懸命に動かして北に向かって飛び続けているのでしょう。けなげです。小鳥たちの「渡り」を思うと涙が出そうなくらいです。あんなに一生懸命に私は生きているか?と自分に問うと恥ずかしくなります。せめてもっとシンプルに暮らさねばと思うのです。
 あいかわらず、ヤマセミの追っかけをしています。バイトに行く途中の川にヤマセミ出没ポイントがあって、「私のヤマセミちゃん」でした。
 ところが最近、他にもヤマセミに気付いた人がいて、うわさが広がったみたいで、怪しい動きをする車が何台も現れるようになりました。のろのろ進んだり止まったり。あげくに車から降りてきたのを見ると、「いかにも」って感じのいでたちで、しかもバズーカ砲かと思うような(実際にバズーカ砲を見たことはないのだが)望遠カメラを抱えているのです。
 いやーっ、やめてーっ、ここは私の、私だけのポイントなのよ。人って来ないで。荒らさないで。
 と、心の中で叫びながら、ちょっと睨んで通過するのです。あいつら、私よりずっと上手い写真を撮るんだろうな、くやしいな。
 ああ、私のヤマセミちゃん。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.25(2010.5.31発行)より転載

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 6月半ばから、鹿児島・宮崎で大雨が続いていたのがついに北部九州まで上がってきて、一週間ほどかなりはげしい雨が降りました。やっと色づき始めていたわが家の畑のミニトマトは、雨でみんな割れてしまい、大きいトマト(桃太郎)の実は腐れ落ちています。トマトは水気が多いのを嫌うので、路地栽培にとって長雨はヤバイです。
 でも、それくらいで文句は言えません。口蹄疫で牛や豚を殺処分し埋設作業している宮崎県に、無情に降り続いた大雨。作業にあたっている人たちが消毒のために大量に投入された石灰が雨でどろどろ状になった中での作業で、滑って石灰と家畜の死体の海に倒れこんだりしていると聞くと、天を恨めしく思ったりします。
 今の時期、雨が多いのは当たり前で、また、降らないと夏場の渇水で苦労することになるのだから、「降るな」とも言えないんだけど、今年は、今、ちょっとだけ、宮崎から遠ざかってあげてよ、梅雨前線さん。
 福岡県でも、畜産農家には石灰がどさどさ配布され、農場入り口の路面に散布するように指示が出ています。普段は鷹揚で少々ルーズともいえる酪農家さんたちも、宮崎の惨状が気になるようで、みんなまじめにせっせと石灰をまいています。でも、激しい雨が一晩で流してしまいます。
 ああ、早く梅雨があがってくれないかなぁ、早く口蹄疫が終息してくれないかなぁ、です。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.26(2010.6.30発行)より転載

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 猛暑お見舞いもうしあげます。
 豪雨続きで、大地も人間も弱りきったところに、ガーーーーッとやってきた猛暑。弱り目にたたり目ですね。連日、38度だ、39度だと報道されると、なんとなく、33度くらい「暑い」うちに入らないような気がしてきます。でも何年か前まで、33度もあると「死ぬほど暑い!」と言っていたような…。
 温暖化の一言で片付けたくはないけれど、やっぱり確実に気温は上昇しているなぁと実感せざるをえない暑さです。犬も猫も母もぐったりです。私もぐったりです。
 畑の草は大雨と高温度でぐんぐん伸びています。伸びるがままに放置していたけれど、隣の畑と接している一部で、クズやヤブガラシなどのツル系が生い茂って隣の畑のみかんやキゥイの木に覆いかぶさる状態になってしまったので、さすがにまずいと思い、早朝、草刈り機を持ち出しました。
 そんなに広い面積を伐ろうとしたわけじゃないのです。でも、ツルが絡まりあって簡単に切れ倒れてはくれません。思った以上に力を要します。ぶんぶん振り回すけどツルは絡まるばかり。草刈機のエンジンの振動はけっこう心臓に響いて体力を奪います。
 そのうちお日様カンカンです。
 まだ、予定の面積の1/3くらい残っていたけど、「ああ、もうほんとに心臓が止まりそう」と、意志軟弱な私はそこであきらめて、エンジン止めて家に帰って、シャワー浴びて寝てしまいました。
 寝ていると、裏の畑(ツルが覆いかぶさっていた畑とは別の人の畑)で草刈機の音がガンガンしはじめ、しばらく続きました。「うるさいなぁ。昼寝も出来やしない」(実はまだ朝なのだけれど)と独り言。
 夕方、畑の側を通りかかった時に見たら、何と、私が朝、刈り残していた部分も裏の畑のおいちゃんがついでに刈ってしまってくれていたのです。「うるさい」なんて思ってごめんなさい。
 梅雨明けとともに、口蹄疫がやっと終息に向かったようで、やれやれです。宮崎県で、全頭殺処分の対象となった畜産農家の7割が畜産農家として再出発する意向だと新聞に出ていました。若い人、後継者のいる人、借金の額が大きいひと、いろいろ事情は違うだろうけれど、みんな強いです。
 みんな殺してしまって、ガランと空っぽになった畜舎を前にして、またここを牛(豚)でいっぱいにするぞ、という熱い思いは私ならわき上がらせることはできないだろうなぁと思うのです。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載

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キツネの災難

 私がバイトに行ってるY牧場の牧草地に住み着いているキツネの一家(夫婦と子ギツネ4匹)にとっても、先日来の豪雨は大変な被害をもたらしました。何年も前から住み着いていた巣穴のある山の則面が小規模な土砂崩れを起こし、巣穴が埋まってしまったのです。
 危険を察知して一家そろって逃げ出していてくれただろうことを祈っているのですが、土砂崩れ以降、私はキツネの姿を一度も見ていません。Yさんは牧草地の下の方で最近2匹見たと言っているので、きっと6匹全部、無事だったと思います。思いたい。
 あれ以来、毎日、仕事をしながら、キツネの姿をさがしています。草が伸びたこともあって見つけることは出来ないままです。
 キツネさんたち、一家そろって元気な姿を見せに出てきてよ。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』
NO.27(2010.7.30発行)より転載




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田舎暮らし

 バイト先のYさんが堆肥の配達のために山道(といっても立派な国道)をダンプで走行中、道路をゆっくりと横断しているスッポンを発見。「はじめはカメかと思ったけど、ダンプを止めて降りて見たらスッポンだったんでつかまえて助手席に乗せて帰ってきた」そうです。今、営農組合の仲間に預けてあるそうで、営農の飲み会の時に「みんなで食う」予定だと言っていました。
 去年、Y牧場の下にある営農組合の倉庫に、オスのキジ同士が喧嘩して、1羽が窓ガラスを突き破って飛び込んで即死するという「事故」が発生し、そのキジもキジ飯になって、常農のみんなの胃袋に収まったのでした。
 Yさん夫妻と、お茶しながら、将来の生活不安の話をしていて、国民年金で暮らしていけるのか、というところから、話はスッポンに発展したのです。つまり、こうです。
 都会では、持ち家があれば極貧暮らしで切り詰めれば何とか生きてはいけるかもしれない。でも、家賃を払う暮らしは到底無理だろう。都会では大根のシッポも拾えないもの。でも、田舎で暮らせば、現金なくても生存は可能。野菜は自分で作ればいいし、作れなくても近所の誰彼が「食いな」と持ってきてくれる。魚は近くの川で、いくらでも獲れるし、肉が食いたけりゃ、イノシシやシカもいる。「それに、キジは窓から飛び込んで来るしスッポンは道路を横断してるし…」
 というオチが付いてはなしは終わりです。
 まあ、イノシシやシカは「食う」というより、畑の作物を「食われる」方が多いのですがね。
 しかし、少なくとも、東京の最高齢とみられていた111歳の男性が実は30年以上前に死亡していたらしい、なんて話は田舎では絶対に起きません。近所のばあさんが3日も顔を見せなければ「あんた方のばあちゃん、どうかあるかね?」と聞くし、一人暮らしの老人の姿が見えないと、家に上がりこんで安否を確認します。「昨日、タクシー呼んで出かけた」とか「大きな荷物持っとったけぇ、入院でもしたのかも…」とか、時には煩わしいと思うくらいに近所の目が「見守って」くれます。
 私の老後は、施設などに入る金もないし、この家で近所の人たちの目に見守られながら最後を迎えることになるだろうと思っているのだけれど、ただ、家そのもの、つまり家屋が私より早く朽ちるのではないかという不安があります。大きい台風が来ないことを祈るばかりです。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載

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チョロちゃん

 わが家の夜のアイドル、ヤモリのチョロちゃんです。居間の窓ガラスにへばりついて、主に小さな蛾を狙っています。蛾がやってくると、じっと狙いを定めてちょろちょろっと素早く走り寄ってパクッ、モシャモシャと食べます。それを、窓の内側からじっと狙って、ダダッとガラスに飛びつくわが家の愛猫シラミちゃん。もちろん、分厚いガラスに阻まれて、シラミの狩はいつも空振りです。でも、懲りずに毎晩、窓ガラスに張り付くチョロちゃんを見つめ続けるシラミなのです。
 チョロちゃんの蛾狩りの方は確立5割くらいかな。
 時には地面にぼとりと落ちたりすることもあるけど、次の晩はまた元気にガラスに張り付いています。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載

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鳥日記

 真夏さすがに鳥たちも早朝じゃないと姿を現さず、昼間は木陰に潜んでいるようです。炎天下でも元気なのはサギ類とホオジロくらいです。バイトに行く途中の川でも電線でさえずるホオジロと川の中にたたずんで小魚を狙うシラサギ・アオサギくらいしか見かけることのない毎日です。
 8月最後の土曜日、鳥師匠三丸さんに誘ってもらい、由布高原の林の奥の湧き水の所に水浴びにやってくる小鳥たちを観に行きました。久々の遠出鳥見です。すぐ近くの上を高速道路が通り、車の音は結構うるさいところながら、林に踏み入ると木々の緑に囲まれて、俗世から遮断された気持ちよい空間に身を置くことが出来ました。先客(といっても三丸さんのお仲間・希少生物研究会のおじさん)がすでに来ていて、迷彩色のネットを張って、その隙間から望遠カメラを突き出して水場を狙っていました。
 私たちがそれぞれの場所を確保して間もなくから、次々と美しい小鳥たちがやって来ました。オオルリ、コガラ、ヤマガラ、キビタキなど。間近に見るのは初めての鳥たちです。
 始めは水場の向こうの低木の枝に来て、ちょろちょろと安全を確かめるように枝を移り、それから驚くほどの大胆さで、水場に舞い降りて翼をひろげて体を震わせて水浴びをするのです。その光景が何と我々の4〜5メートル先で展開されるのです。何という無防備さか、と感動しました。
 オオルリのコバルトブルーの鮮やかさ、キビタキの黒と黄色のコントラスト、そしてコガラのかわいさ。木々の緑、涼やかにしめった空気、コケむした岩を這い登る1センチにも満たないカエル、草の葉に張り付いて動かない小さな蛾、みんな静かな山の夏の日を伸びやかに生きていました。
 「この後、また別の鳥が来るんだけど…」という声に後ろ髪を引かれる思いで山を下りました。仕事に間に合わないから…。
 さて、下界に下りたら何と暑苦しいこと!
 ところで、オオルリやキビタキなど美しい小鳥たちを間近に見て、もちろん夢中でカメラを構えて撮りまくったのですが、後で見るとどれもイマイチ鮮明に撮れていないのです。いわゆるピンボケです。あんなに間近に被写体がいてあんなに一生懸命ピントを合わせたつもりなのに「なぜ?」。その答えは少々悲しいものでした。「老眼」のせいだったのです。ファインダーから見る映像は眼球のすぐ前にあるから老眼には鮮明に見えないということなのでしょう。今、カメラの方を微調整中です。Mさん、「腕のせい」って言うなーっ、老眼のせいじゃーっ。どっちも悲しいけど。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.28(2010.8.31発行)より転載

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老親介護

 最近、同じ年頃の女性たちと話をしていると、決まって親の介護のことに話は行き着きます。子どもがひとり立ちして、やっと自分の時間が増えたと思う間もなく、親が老いて目が離せなくなり手がかかるようになり、何年もの過重な介護の果てに、やっと両親を看取った頃には自分が老いて、したいことも出来なくなっている。「女は割りに会わんねえ」で話は終わるのです。
 わが家も、酪農をやめて、さあ、泊りがけで旅行でも出来るぞ、と思ったら、母が老いて、特に今年の夏の暑さですっかり弱って何もしなくなり、一日中ごろごろ・ずーずーと寝てばかりです。物事の判断力も急速に劣化して、40年毎日してきたことも突然仕方が分からなくなるといった状態で目を離せません。介護認定を受けるほどではなく、だからデイケアにも行けず、ごろごろ・ずーずーです。手芸が好きな人でしたが、もうそんな能力も意欲も完全になくしています。ただ、まだ食欲だけは健在で、持病の高血圧・糖尿病によくないといわれるものばかり欲しがります。ダメというと隠して食べるので、いまでは好きにさせています。食べたいものを我慢させて、少しくらい長く生きても幸せとはいえないだろうと思うので…。  それにしても、テレビを観ながら突然、掌に味塩を振りかけてなめる(日に何度も)のを見ると「この人、ゆるやかな自殺をはかっているのか?」と思ったり…。
 ところで、以前にも紹介した介護マンガ『ヘルプマン』の15巻、とてもいいです。ぜひ読んでみて下さい。とてもとても面白い方向に進んでいます。(講談社・イブニングKC・くさか里樹)

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.28(2010.8.31発行)より転載

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http://www.rircl.jp/ NPO法人 農と人とくらし研究センター