づれづれ草

コラム「づれづれ草」について
北九州で農業にたずさわる渡辺ひろ子さんの個人紙『私信 づれづれ草』からの転載です。2007年6月、30年続けた酪農に自ら終止符を打ったとのことですが、農業にはこれからもかかわっていくと、日々の思いを気丈に綴っています。
挿絵も渡辺さんが描いています。
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鳥日記

 行橋市今川河口に、今年も絶滅危惧種であるクロツラヘラサギがやって来てくれました。
 私が確認したのは11月18日です。5羽いました。
 数日後、鳥師匠三丸さんから転送メールが届きました。それによると、東大と九大の合同チームが夏に韓国で5羽のクロツラヘラサギに発信機を取り付けたそうで、その中の1羽が今川河口付近に来たのを受信したが、その後について追跡観察を誰かしてくれないか、ということのようです。発信機をつけられたその個体(今川に来たやつ)は弱っているようで心配だというのです。
 メールを見た翌日、行って、あちこち探してみたけれど何とクロツラは一羽も発見出来ず。干潮時間だったので餌取りにでかけているのかも・・、と思い、こんどは満潮時間に行って見るが、やっぱり一羽も見えない。どこかに越冬場所を変更してしまったのかも・・と残念に思いつつ、それでも諦めきれずにちょこちょこ見に通いました。(ヒマ人)
 12月9日、いた! 3羽のクロツラがいた。
 発信機を装着した個体がいるかどうかは、私の安物双眼鏡と私のつたない眼力では確認できないけれど、そんなことは私にはどうでもいいことで、「いた!」ってだけで満足です。3羽戻ったと安心したけれど、13日に行ったら1羽しかいなくて、それ以来ずーっと1羽です。カモやカモメやアオサギやシラサギやウミウなどいっぱいいて、とてもにぎやかな中州なので寂しくはないのかも知れないけれど、1羽ってのはやっぱりかわいそうです。他の連中はどこに行ってしまったのでしょう。彼が発信機をつけられた個体で弱っていて取り残されたのでしょうか。1羽きりでも、元気にここで春まで過ごしてほしいです。
 前述の鳥取のよっちゃんから、米子水鳥公園に毎年1羽のクロツラが越冬に来るという新聞記事が送られて来ました。ああ、単独行動ありなんだなぁ、とちょっと安心です。
 クロツラの他にも今、毎日追っかけているのがヤマセミです。Y牧場にお仕事に行く途中の祓川という川のほぼ同じ所にほぼ毎日私の通る時間に合わせたかのようにヤマセミが餌取りに来ているのです。少しでも近づいて撮りたいと、カメラを持って追いかけるけど、ある距離まで近づくと「ケッ」と鳴いて遠ざかります。「いつもいつも同じようなゴミみたいな写真を撮って」と娘にバカにされます。でも、ヤマセミ、カッコいいです。カワセミも毎日のように見ます。
 いいところに暮らしているでしょう。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.21(2009.12.23発行)より転載

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漫画『百姓貴族』

 本屋をぶらぶらしていて偶然見つけました。コミック『百姓貴族』@ 作者 荒川弘。私はまったく知らない漫画家です。帯に「私の血には、牛乳が流れているのだよ・・」とあり、裏表紙には「マンガ家になる前は北海道で七年間、農業に従事していた荒川弘。牛を飼い、野菜を作り、クマに怯え・・云々・・知られざる農家の実態を描いた、日本初の農家エッセイ登場!」とありました。
 買いました。読みました。農業を知らない人が読んでどう思うのか分からないけれど、元・酪農家の私が読むと、「そうそう、うんうん、あるある」と随所で笑えます。そして、ところどころで過激な表現が出てきて「よっしゃあ!そうだ、もっと叫べーッ!」って感じでなかなかいいです。
 荒川弘さんは、北海道の農家の息子で、実家は酪農と野菜の複合経営なので、ハンパじゃない重労働に追われているわけで、その実態を面白く明るく過激に描いています。  わがままばかり言う消費者に対し「食料供給ストップして、あいつら 飢え死にさせたろかいと思います」な〜んて言い放っちゃうんです。もう、「いいぞ!もっと言え!」と声援送ってしまいますよ。
 このマンガ、『ウイングス』という隔月発売のマンガ雑誌に連載しているもので、このマンガ雑誌は「大人ガールのための、ドラマチック・ロマンチック・マガジン」だそうです。高校生からもうちょっと上の年齢までの、いわゆる"女の子"が読むもののようです。その中に、まあ、ずいぶん異質な百姓万歳マンガを紛れ込ませて連載にしている編集者がえらい!
 世の女の子たち、このマンガをしっかり読んで農家の暮らしや仕事や百姓の気持ちを理解してモノを食う時はこころして食えよ。ママになったら、子どもにもちゃんと教えるんだぞ。
 で、このマンガの中の特に気に入ったところをコピーしてきました。
  「北海道独立」 いいですねえ。
  「沖縄独立」という主張は市民運動の一部でかなり前から語られていました。北海道も独立しちゃいますか。いいですねえ。
 沖縄も北海道も、ヤマトが力で屈服させて「日本」に組み込んだのだから、「もうこれ以上、蹂躙されるのはいやだ」というのはもっともな主張だよ。ガンガン言って、ヤマトの頬を張り飛ばしていいと思うよ。
 ところで、餌の高騰も一段落し、乳価もちょっと上がった昨年ですが、酪農家の暮らしは少しは楽になったでしょうか?

コミック『百姓貴族』 荒川弘・作 新書館 680円+税
全国書店で絶賛(?)発売中

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.22(2010.1.26発行)より転載

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鳥日記

 「寒中」ではありますが、そこここに春の気配が感じられます。
 わが家の庭の梅の花が2りん開いているのを発見。すぐ横のサザンカとツバキの花にメジロとウグイスが毎朝やって来ます。ウグイスはまださえずらないので地味な地鳴き(チャッチャッと低く濁った声)ですが、メジロの声は結構にぎやかで、寝ている部屋の窓のすぐそばで鳴くので、その声で目覚めます。(鳥の声で目覚めるということは、夜が完全に明けてから起きるということで、いいご身分であります。)
 シジュウカラやカワラヒワが時々さえずりを聞かせてくれるようになったし、家の裏の藪に住むキジも数日前からケンケンと鳴き始めました。余談ですが、童謡の「雨がふります、雨がふる・・・」(題名は忘れた)の3番だったかに、「ケンケン子キジがまた鳴いた」という歌詞があって、物悲しい気持になっていたのですが、「ケンケン」の泣き声はオスのさえずりだそうです。「さえずり」はオスの縄張り宣言もしくはメスヘのラブコールなのです。したがって、子キジはケンケンと鳴かないことになります。実もふたもない話ですみません。
 先日の大雪以来、いつもの川に、鳥たちの姿がめっきり減って、ヤマセミもカワセミも全然見かけなくなり寂しいです。
 でも、朝の犬の散歩の時、林でエナガの群れに時々出会うようになり楽しみになりました。エナガはスズメよりずっと小さな鳥で、ピンポン玉のような体に長い尾がついています。じゅりじゅりと地味だけど独特な声で鳴きます。感動的にかわいい鳥です。
 また、先日は、同じ林で、メジロよりエナガよりもっと小さな鳥の群れを発見。木の上のあたりをチロチロ動き回るその鳥たちの何という小ささか!
 声がこれまた聞いたことのないもので、バイオリンを高音でそおっとそおっと弾くような感じでした。
 鳥師匠三丸さんにすぐ電話。「キクイタダキ」だろうということでした。日本にいる最小の鳥の一つで、体重は10グラムだそうです。見たのは一度きりですが、毎朝、「今日は会えるかなあ」と梢を見上げて通ります。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.22(2010.1.26発行)より転載

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パソコン嫌い

 相変わらずのパソコン嫌いです。上手く使いこなせないから、っていうか、その前にパソコン用語が全然わかっていないから、次のステップに進めないのです。
 この前、友人にメールで原稿を送るのに、何だかうまくいかなくて、「あ、失敗した。もう一度。あ、また失敗した。もう一度」と何度もやり直して、「あ、今度は上手く送れたぞ(たぶん)」と思って、相手に電話して届いたかどうか確認したら、「同じメールが4通届いてます」だって。
 さて、最近は市民運動の署名集めもメールが主流です。私はもう、趣旨に賛成であっても、パソコンを開かなくてはいけないと思うだけで気持ちが萎えてしまうのです。最近、ずいぶん不義理をしてしまっています。
 パソコン上達の秘訣はとにかくいつも触る事、とアドバイスを受けたのですが、ひとことで言えば「触りたくない」。ちょっとメールが来ていないか見ておこう、と開いていると、突然小さい窓が出てきて、わけのわからん事が書かれていて「インストールしますか?」とか、何のこっちゃ?とびびっている私に、YESかNOか即答を求めるのです。へたな答えを押して大変な状況を生むかも知れないと思うと、もう先に進めません。
 こんなの、パソコン教室に呼び込もうという陰謀だぁ!

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.22(2010.1.26発行)より転載

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春ですねぇ

 梅の花も散り始めて、気がつけばもう3月、すっかり春の気配です。ふきのとうをザルいっぱい採って「ふきのとうみそ」を作りました。つくしの出るのを今か今かと待っています。
 鳥たちも春を感じて、「さえずり」を始めています。カワラヒワ、シジュウカラ、ヒバリ、ウグイス、イカル、ガビチョウ、キジバト等々。
 はじめはぎこちなかったウグイスも数日で立派にホーホケキョと鳴けるようになりました。
 でも、春が来ると「別れ」もやって来ます。最近、ツグミたちが、集団で盛んに飛び回り、田畑に降りては餌をついばんでいます。北帰行にそなえて、体力をつけているのでしょう。大好きなジョウビタキも北へ帰ってしまう日がもうすぐやって来ます。彼らは、ある日、気がつくといなくなって、「ああ、行ってしまったのか・・」と思い、ちょっとセンチになったりするのです。シロハラもミヤマホオジロも春にはいなくなります。もちろん、夏に向かって姿を見せ始める鳥たちもたくさんいるのだけれど・・。
 最近、今川河口のクロツラヘラサギを見に行ってません。まだいるのかなぁ。明日にでも行ってみよう。
 中島みゆきの作詞作曲で加藤登紀子が歌っている唄に「・・・ああ、人はむかしむかし、鳥だったのかも知れないね、こんなにもこんなにも空が恋しい」というフレーズがあります。トビが悠然と上空を旋回しているのを見ると、この唄を思います。
 トビって、あまり評価されない鳥だけど、私は好きです。猛禽類の中でも大きい方だし、ゆったりとしてカッコいいと思います。ワシ・タカ類の中でとても評価が低いのは、きっと数が多いせいだと思います。数が多くて、しかも人の暮らしの傍にいるからだと思います。
 大空を悠然と舞っているトビ、いいなあ、と思ってうらやましく見上げるのだけれど、でも、トビ本人にしてみれば、案外「腹減ったぞ。何か食うものないか。ウサギだのネズミだのと贅沢は言わん。バッタでも芋虫でもいい、何か食うものはないか」と、それこそ、鵜の目鷹の目で地上を見下ろしているのかも知れませんね。
 2月が一年で一番寒い季節だったのに、最近は1月下旬に早まったと、気象予報士が言ってました。冬鳥たちの渡りもその分早くなってきているのでしょうか。さびしい季節がもうすぐそこまで来ています。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.23(2010.2.28発行)より転載

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獣害

 私がパートに行ってるY牧場の牧草地にシカとイノシシが出てきます。シカは牧草の柔らかいのを食べます。だから、草が伸びて硬くなるとあまり出て来ません。でも、イノシシの方はずーっと毎日出て来ます。夫婦に子どもが4頭。イノシシは牧草を食うわけではなく、土中のミミズを食うために出て来るのです。だから、土を掘ります。ひたすら掘ります。まるでトラクターで鋤いたようになります。もちろん牧草はダメになります。その面積が日に日に増えて行きます。ワナを仕掛けてもなかなか入ってくれないし、あきらめ顔のYさんです。
 ものの本によると、イノシシの農作物被害はひとが農耕を始めた大昔からのことだそうです。あきらめるしかないのでしょう。
 ところで、新聞でちょっと衝撃的なニュースを読みました。
 アフリカのどこかの野生動物保護区で、シマウマが増えすぎて農作物に深刻な被害が出ているそうで、その解決策として、シマウマの一部をライオンなどの肉食獣の保護区に追い込む、つまり、ライオンの狩りの対象にすることで「駆除」するという方法を選んだというのです。
 まあ、合理的といえば言えるだろうし、自然界の本来の姿に戻したとも言えるだろうけど、でも、今までライオンのいない環境で生まれ育って生きてきたシマウマがいきなりライオンの群れに遭遇したら・・と思うと何だか痛ましいです。ひとと動物たちとの関係はいろいろ難しいですね。特に、ひとには経済ってものが付いてまわるので一層難しくなります。イノシシたちはミミズがたくさんいる所を探しているだけなんだけどね。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.24(2010.3.28発行)より転載

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徴農制

 ちょっと前、テレビの「太田総理」(お笑いコンビ「爆笑問題」が司会をして、タレントや政治家などがその日のテーマ・・太田光本人の提案が多いが、たまに他の出演者が提案する場合もある・・について論議し、最後に賛否の投票をする。視聴者も電話投票で意志表示できる、という番組)で、俳優の辰巳琢郎が「徴農制」を提案しました。
 「若者に一定期間(一年くらい)強制的に農業体験をさせることによって、農業の大変さ、大切さ、汗を流して働くことの喜びなどを実感させる。そうすれば、食べ物のありがたさ、農業の大切さがわかるだろう。そして、彼らの中から、農業を生涯の仕事にしたいと思う若者も出てきて、農業後継者不足問題も解決できるだろう。」
 というのが、辰巳さんの提案理由でした。賛否は半々で、論議が始まりました。政治家も賛否に分かれ、自民党若手議員は「農業の将来は農業者自ら考えることで、ビジネス努力で新しい道を開拓し成功している個人や企業もある。例えば、中国の富裕層に向けて、良質なものを生産し、高価な値段で売って利益を上げている、というように。だから、日本の農業の将来は暗いばかりじゃない」
 農業者も二人出ていて賛否に分かれました。小学生などの農業体験の教育的効果をあげ、まず子どもたちに農業や自然を知る機会を作ってやることが日本の農業を救うことにもつながる、という賛成派。そして、反対派の高齢の農家の人は「農業の後継者がいないのは、農業で食えないからだ。農業体験して、将来農業をやりたいという若者がたくさん出てきても、食えないじゃぁ仕方ない。農業が食える仕事になることがまず始まりだろう」と主張していました。
 最終的に、確か一票差で「可決」となって番組は終わりました。
 う〜ん、私は、う〜ん、ちょっと反対に近いかなぁ。子どもたちに農業体験をさせることは大切だと思うし、それは、今各地で試みられているような、「田植えと稲刈り」とか「芋ほり」とかだけじゃなく、土つくりから収穫後の後始末・来年への準備に至る全過程を体験するものであってほしいと思います。
 しかし、それを農家に来てやられると、仕事の邪魔でしかないし、第一、今どきの子どもの扱いとか、モンスターペアレントの扱いとか、そんなの農家で背負いきれる範疇を越えているわけで、一年で農家の大半が精神科に通院することになるかも・・。
 本来、教育は教育機関がやるべきことで、でも、今の学校にこれ以上を望むのも酷だと思います。今でも教師の多くが精神科に通院もしくは入院している現実があるわけで・・。
 学校のカリキュラムを大幅に変更して、数学とか英語とか科学とかの時間を減らして、農業を正式な科目として入れればいいと思います。
 この国はもう「右肩上がり」の成長は戻って来ない「老成期」に入ったのだから、難解な数学や物理式を解ける能力より、何か起きても生きていける智恵や能力、そして他人とやさしい関係を作りそれを持続するこころを育てることに、教育の力点を移すべきだと思います。
 子どもの学力が世界ランキングで韓国に負けた!なんて騒いで、「学校」のケツをひっぱたいてみてもしょうがないよ。
 今までとは違う国になる、そしてそれは「進化」なのだと思うこと。
 太田総理! 農業再生も、教育再生もここから始めよう、というのが渡辺ひろ子のマニフェストです、いかがでしょう。
 な〜んて、ここでほざいてもオヨビデナイ。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.24(2010.3.28発行)より転載

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鳥日記

 3月20日、ツバメ初お目見え。以来、びゅんびゅんと我がもの顔で飛び回っています。
 先日、犬の散歩コースの雑木林でミヤマホオジロの「さえずり」を初めて聴きました。冬鳥なのでもうすぐいなくなるはずで、きっと繁殖地は違う所だと思うので、さえずりを聴けたことはラッキーです。幸せ気分満開。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.24(2010.3.28発行)より転載

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皆、百姓

 熊本大学教授の徳野貞雄という人の著書『農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せ』を読んでいます。始まりの部分が特に面白いです。
  「日本人は皆、百姓の小倅だった」
 日本は稲作が作った国で、昭和30年代まで、みんな農山漁村で暮らしていた。人口の9割は百姓だった。暮らしの中身もほとんど変化なく、明治や江戸時代どころか、室町・鎌倉の時代までつながる暮らしのにおいを持っていた。高度経済成長がその暮らしを急激に変えた。
 というのが、まあ大まかな中身です。面白いのは「高度経済成長期以前の暮らしを経験している者は室町時代にタイムスリップしても生きていける」というところです。
 自給のためのいろいろな野菜を植え、漬物も自分の家で漬け、食事も自分の家で作り、かまどで薪を燃やしてご飯を炊き、掃除はほうきとはたき、洗濯はタライ。共同の水汲み場で洗い物。正月やお盆の行事、こままわしやたこあげなどの遊びも室町時代に定着したそうで、そんな暮らし方は本当に私の子ども時代そのものです。なるほど、私も室町時代にタイムスリップしても生きていけそうです。
 高度成長期以降に生まれた世代との暮らし方の違いは、もう、「違い」というより「断絶」と呼ぶべきものでしょう。
 徳野氏はこう書いています。
 「現在ともっとも大きく違うのは、私達のご先祖様はいつも飢えていたということです。だから食べ物を探すことに必死でした」
 高度成長期という、ほんの数年を境にまったく別の世界に移行してしまった日本人。「飢え」から「飽食」へ、突然の移行でした。
 飢えを知らない世代に食べ物の大切さを教えるのは難しいでしょう。土のにおいを知らない人たちに自然の重さを実感させるのは難しいでしょう。
 彼らは「環境に優しい暮らし」を考える時CO2を出さないエネルギー生産を求めます。
 室町時代人間の我々はエネルギーの使用量を減らす暮らしを考えます。「昔の暮らしに逆戻りは出来ない」と言う人もいるけれど、江戸時代くらいまで暮らし方を逆戻ししても、人間、そんなに不幸にはならないように思います。医学の進歩で、長生き出来るようになったけど、長生きが不幸な場合もいっぱいあるわけで、まあ、そこそこの暮らしをして、そこそこで死ぬってのも、悪くないと思うのでありまして、「生きることの意味」なんて考える暇もなく食うためにのみ働いて、ぱったり死ぬ、そういう生き物に立ち戻ろうよ。
 と、徳野氏の著書の主旨とは関係なく、後ろ向きな提案をする渡辺であります。

『農村の幸せ・都会の幸せ』
 徳野貞雄・著
 生活人新書
 740円十税

 なお、私が書店でこの本をぱらぱらめくって、買う気になったのは、最後の方に、わが家の近くで合鴨農法をやっている「進 利行」さんが登場していたからです。
 「農業・農村のニューモデル」の項に「中核兼業農家」として、進さんが紹介されています。彼は消防署に勤めながら農業をやっていて、私はよく「この人は道楽で百姓やってます」なんてからかったりしていました。もう消防署は退職して、正真正銘の百姓です。酒飲みで、よく勉強会だか飲み会だかを開いていますが私を誘ってはくれません。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.23(2010.2.28発行)より転載

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年齢

 今、もっとも有名な農家は、おそらく青森県弘前市の木村秋則という人でしょう。書店に行くと彼の本が数種類、一番目立つところに平積みされています。
 そう、『奇跡のりんご』のあの木村さんです。完全無農薬のりんご栽培に成功して、一躍有名人となった人です。
 で、この項のタイトルがなぜ「年齢」なのかというと、先日、彼のことをとりあげたテレビ番組を観て、「ええーっ、それはないでしょう?」と思ったからです。
 内容自体は彼を絶賛するもので、別に文句をつけるところはありません。気になったのは、スタジオに居並んでいろいろコメントしたり、彼のりんごを試食したりするタレントや司会者たちが、「おじいさんのりんご、おいしい!」とか、「おじいさん、すごい!」とか「おじいさんの優しさの詰まった味がする!」とか、とにかくやたら「おじいさん」を連発したことです。
 彼は今、60歳です。確かに歯がないので(無農薬に切り替えて9年、まったくりんごがならず、生活費のために様々な仕事をしたそうで、キャバレーの呼び込みをしていた時に酔っぱらいに殴られて歯を折ったそうです)老けて見えます。でも、スタジオのみんなは彼の年齢を知っているわけで、「いまどき、60歳でおじいさんはないだろうヨ」と61歳の私は勝手に怒っているのです。本人はきっと平気だろうけど・・。
 だって、60歳で「おじいさん」なら61歳の私は正真正銘、立派な[おばあさん]ですよ。別に、いいけど、サ。
 なお、彼の栽培する「奇跡のりんご」は全国の有名レストランのシェフたちに引っ張りだこだそうで、我々の口にはとても入りません。スーパーで、一山いくらの安売りりんごを買って、農薬の味を噛みしめています。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.23(2010.2.28発行)より転載

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http://www.rircl.jp/ NPO法人 農と人とくらし研究センター