のふう草

コラム「のふう草」について
生活改良普及員として35年を過ごす間に、農村を舞台に魅力的に暮らす農家の女性たちに出会いました。岐阜県美濃、濃尾平野の北端で山と川と田畑に囲まれて、農婦の暮らしを愉しみ、その暮らしぶりを風のように軽やかに伝えたい、それがコラムに込める思いです。農婦と農風をもじった「のふう」と名もない「草」でありたい「のふう草」が私の舞台です。
福田美津枝


のふう草 vol.1 vol.2 vol.3 vol.4 vol.5 vol.6


赤だつ芋育てて、美味の酢炒り

 この春、家から離れた「沖」の畑をマイ畑にして、野菜を作り始めました。最初に植えたのは「赤だつ芋」。親戚のおばさんが持ってきてくれた種芋です。
 9月のある日、いよいよだつに鎌を入れました。「赤だつの酢炒り」を作るためです。まだ発育途中のだつを切るのは忍びない気がしましたが、このために作ったのだからと思い切り、10数本刈り取りました。
 うちへ持ち帰って皮をむき、5センチくらいの長さに切って塩をしたのち、水気が出てきた頃良く揉み、水で洗ってから、念のため、もう1度塩をして揉み込みました。以前、この塩もみが足らなかったので、エグ味が残ったことがあったからです。鍋に油を熱し、よく絞った赤だつを入れ、炒めます。砂糖、塩、酢を入れるのですが、私はらっきょうを漬けた酢を酢のものに使っているので、そのらっきょう酢を入れ、さらに梅干しを食べ終わった後に残る梅酢も少し入れました。どす黒かった赤だつが、パーっと鮮やかな赤色になりました。あとは砂糖も塩も酢もそれぞれ足しながら、塩梅して出来上がり。自分で育てた赤だつの酢炒りは、また格別の味でした。

福田美津枝, 『日々の暮らし日々の食べ物』より転載

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新米農婦のサツマイモ堀

 今年も息子の親友M君が、沖の畑でさつま芋を植えました。息子たち3人でワイワイ言いながら苗を植え付けたものの、秋になっても、仕事が忙しいのか、掘りに来ません。そこで代わって、イモを掘り上げることにしました。
 鎌でつるを切りはらって、備中ぐわで掘っていきます。ところが、そんな鍬を日ごろ持ったことがない私には、鍬を振り上げるだけで精いっぱい。狙いをつけて振りおろすのですが、よろよろなので、狙いが外れてグシャッ。肝心の芋の上に鍬がおろされるのです。結局、満足に掘り上げたものはほとんどなく、半分にちぎれているものや、ちぎれていなくても鍬の先がかすったものばかり。それでも小さな芋もちぎれた芋も、掘り起こしたものは1つ残らずかごに入れて持ち帰り、早速洗って茹でました。
 この芋がおいしいこと、おいしいこと。鍬を使った腹ペコの分を差し置いてもおいしく、昼ご飯に戻ってきた母もおいしいとたくさん食べました。
 芋を掘ったら分けてほしいと頼まれたUさんに、いい芋少しを届け、茹でた芋で味見をしてもらいました。今度は上手に掘り上げて、たくさん差し上げます。さつま芋作りは、鍬使いが一番大切だと言うことが身にしみました。

福田美津枝, 『日々の暮らし日々の食べ物』より転載

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「秋」終えて

 「秋は終わったかね」「秋を終えました」というのが、この辺の、今頃のあいさつです。
 「秋」というのは収穫の秋、その中で「稲の収穫」のことを言います。それで言えば、我が家も「秋」は終わりました。正確には、3反の半分はJA出荷なので、JAの大型コンバインが来て、あっという間に刈り取って、カントリーエレベーターに持って行き、残りの半分は近所の小さなコンバイン持ちの方に刈り取ってもらい、それを遠縁の家に運んで、今、乾燥・籾擦り中なので、「終えてもらいました」という事です。

 この冬には、公民館講座で「背中蓑作り」を行う予定なので、その材料であるわらを確保しなければなりませんでした。コンバインで刈ってもらうと、わらそのままの長さでは確保できないので、近所の人に刈ってもらう田んぼのくろ刈りをしたわらを、切断しないで、そのままに残して脱穀をしてもらいました。くろ刈りしたわらを縛ってから、脱穀にかけたのですが、すでに何年か前からコンバインのお世話になっているので、縛り方を忘れてしまっていました。ようやく思い出して縛ったのですが、ゆるくて、脱穀の間にほどけてしまったものもありました。
 わらを干さなければならないのですが、はざがないので、そのまま田んぼの畦に載せておきましたが、2日後に雨模様、あわてて納屋に取り入れて広げる…。
 コンバインは便利ですが、わらの確保は大変。鎌で刈り取り、はざにかけ、1つ1つ脱穀して、米と同時にわらも産物として確保する。そのわらで生活品を作り出す、他に梳きこむ、畑の野菜作りに使う(敷きわら、豆類の手など)、そして畳屋さんや酪農家に売る。そんな仕事を、昔は嫌でたまらなかったですが(嫁に来た頃)、今は懐かしく、貴重な仕事として再現したくなりました。
 さつま芋は、大味で、あまりおいしくはないかと思いますが、食べていただければ嬉しいです。
 じゃが芋は、我が家も春先に芽を出させてしまうくらい、毎年作っています。今年は、皮が赤くて、中身が黄色いじゃが芋を少し作りましたら、もう8月の末から芽が出てきました。それで、その芽の部分を切り取って、畑に植えましたら、芽が出て、葉が出て、10センチくらいに育っています。秋じゃがとして収穫できるかと、今、楽しみにしているところです。
 これからは、里芋も掘らなければなりません。「稲の秋」は終わっても、「収穫の秋」はまだまだ続きます。新米農婦は、今日も畑へ出かけ、腰をさすりつつ、慣れない鍬をふるいます。

福田美津枝

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菜の花とれんげの風景

 昨年の秋に、わが集落の休耕田6枚に菜の花とれんげの種を播きました。面積にしたら10アール切れるほどです。菜の花は、今、黄色く咲き、一昨日のおぼろ月夜の夜には、童謡「朧月夜」に歌われるような風情がありました。
 地域では、昨年の秋ごろから「景観づくりワークショップ」とか「まちづくり協議会」、「地域資源保全隊」など、急に地域見直しが市の各課主導で始まりました。その各課は都市計画課、地域振興課、農政課です。
 「伊深親子文庫」という読書サークルで、「伊深めぐり」や「涙笹のかご編み」「くさぎを食べる」を進めていたので、その実績を買われたのか、3つの活動の委員に任命されました。
 まず、自分たちでできることから始めようと考えてとりかかったのが、「休耕田に菜の花とれんげを咲かそう」ということでした。
 資源隊の役員さんに休耕田をトラクターで起こしてもらい、資源隊に来ている農水省の補助金で種を買ってもらい、地域で、各小字ごとに女性部を結成して、その女性部で交代に種まきしました。
 種をまいた休耕田は、草は生えてくるものの、少しも菜の花やれんげが姿を見せず、心ない人たちからの嘲笑もあって、失敗だったのかとしょげていましたが、3月に入り、暖かくなってきた途端、菜の花がすくすく伸び出して、ぽつぽつとはなも咲き始め、今や満開となりました。きっとれんげも来るべき時を見定めて、花を咲かせるだろうと思っています。
 そんな折、文庫の仲間で、3つの活動の委員も一緒に務めているAさんから、古めかしい本を見せて貰いました。昭和19年発行、柳田國男著「火の昔」という本です。その中に「麦の青、菜の花の黄、れんげの紅が、春の風景であった」と記されていました。昔、灯火の油が魚油から菜種油に替わっていった時代に、農村では菜種を作る農家が次々増えていった、そのことを述べているくだりでした。嬉しい嬉しい。
 「この秋には麦も播こう」 大麦ならうどんを打って、小麦なら「えんねパン」を焼こう。早くも、青い麦畑から一足飛びに食べものへと志向を嗜好させているのです。

福田美津枝

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農作業暦から生まれたもの

 昨年秋から始まった「伊深」を様々な視点から考える活動で、どこからでも出てくる話は、「田んぼも畑も荒れていくなあ」という言葉です。このような活動に携わる委員が、70〜80代の男の人が多いこともあります。伊深ばかりではなく、どこの地域も同じようなものですが、荒れた田畑を増やさないようにすることくらいは、私たちでできることではないかと、まだうら若き女たちは立ち上がりました。
 休耕田に菜の花やれんげの花で、ずっと前の里の風景を作ることもその一手ですが、もっと積極的に田畑を利用してもらうように、田畑での野菜づくりを進めることにしました。団塊の世代のリタイア問題をマスコミなどは扱っていますが、それは男の問題としているのに対し、農村ではパート勤めをリタイアした女性も、次の仕事を探っています。そこに着目して、野菜づくりに引き込む作戦です。自分の食べ物は自分の手で作るようにと。
 今の時代、女は姑から物を教わりたくないのです。そこには古めかしい、嫁とはこうあるべきなどという教訓が必ず含まれているからです。姑に替わる野菜づくりの参考書を作ろうと、地域の姑世代から、現代の野菜づくりの方法を聞き取りしました。
 さすがに他人には教訓めいた話は出ませんでしたが、その代わりに、昔のいろいろな野良仕事の方法、それにまつわる行事の様子などが次々出てきました。それはとても興味深く、この地域だけにあることや、その人の暮らしのありようや人生を思わせるものなど、ぜひこのことを記録しておきたいと思いました。
 それで、農作業暦「わが家の食べ物はわが家の田畑で〜美濃加茂上切・大洞の農作業暦」と併せて、「ていねいな暮らしのあった頃 伊深の百姓仕事〜美濃加茂上切・大洞昔の農作業暦」の2冊を、3月に発刊しました。
 現代版の暦「わが家の・・・」は、月ごとのカレンダー方式にして、余白を十分取り、メモを書きいれ、10年後には自分の暦としていただくように。昔の暦「伊深の百姓仕事・・・」は、読んで保存していただくようにとしました。
 今後は、この現代版暦を使って、「野菜づくり講座」として地域の休耕田で実習する講座を開くつもりです。また、「百姓仕事」のほうは、これからも聞き取りを続けて、書き足す改訂版を次々に出していこうと思っています。
 こんなことで、休耕田対策が解決するとは到底思えませんが、「田んぼも畑も荒れる」「若いもんは百姓もやらん」と嘆くだけよりは、話のタネにもなるし、とりわけ、当人たちが次々に夢や行動を広げて、楽しんでいるのですから、よほどいいと思います。

福田美津枝

※ 上記で紹介したものは、希望される方にお分けします。農と人とくらし研究センターnouhito@rircl.jpへご連絡ください。郵送料210円で送ります。
◆わが家の食べ物はわが家の田畑で〜美濃加茂上切・大洞の農作業暦(A4版 12枚)
◆ていねいな暮らしのあった頃 伊深の百姓仕事〜美濃加茂上切・大洞昔の農作業暦(A4版 28ページ)
 
次の項目をご記入の上、ご連絡ください。
 1.郵便番号
 2.住所
 3.氏名
 4.メールアドレス
 5.ご希望の農作業暦及び部数
 「わが家の食べ物はわが家の田畑で〜美濃加茂上切・大洞の農作業暦」 _部
 「ていねいな暮らしのあった頃 伊深の百姓仕事〜美濃加茂上切・大洞昔の農作業暦」 _部
 
尚、ご希望部数によりまして、郵送料が変わることがあります。ご了承ください。

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田の草取り

 このところ、田の草取りに追われています。田植え直後には、水を見に田んぼを回っていたのですが、苗が落ち着いて、水回りも落ち着いてきたので、しばらく行かずにいて、数日前に畦草を刈ろうと、田んぼに行ってびっくりです。田植え後に、規定通りの除草剤をまいたというのに、びっしりと草が生えていました。
 畦草刈りもそこそこに、田の草取り開始です。家の裏にある3枚の田んぼは、どれもこれも草だらけ。義母に言わせると「隣の田んぼから、種が流れてきたに違いない」。確かに、この田んぼは、昭和30年代に耕地整理をしただけの、今や、歴史的遺物の感がある田んぼです。用水と排水が分けられていなくて、田んぼのそばにある溝には、隣や上の田んぼから水が流れ出て、それを次の下の田んぼに引き入れるのです。でも、見渡せば、隣の田んぼも上の田んぼもそれほど草がひどくない。そこから流れ出たものとすれば、その田んぼも草が多いのではないか。
 次に考えられるのは、除草剤散布後の水管理が悪かったこと。夫はこの季節になると、スイートコーン栽培に魂を奪われています。田植えが終われば、後のことは上の空で、暇を作ってひたすらスイートコーン畑に日参します。「田んぼの水見といて」「ああ・・・」てな具合で、全く当てにできないので、仕方なく私が見て回るのですが、どのくらい入れていいものやら、抜いていいものやら、俄か農婦の悲しいところです。おまけに水口も、水尻も、石を置いたり、泥で固めたりする原始的な方法。その加減がむつかしく、まさに「いい加減」だったようです。
 仕方なく、田の草取りを始めました。小さい草なら田んぼの中へ押し込めばいいのですが、もはや大きくなってきている「いも葉(こなぎ)」や「ホタルイ」など、とても押し込めるものではありません。プラスチックの「レジかご」を株の間に滑らして、その中にとった草を入れ、一杯になったら、畦に捨て置きに行きます。その重いこと。
 腰は痛いし、手は疲れるし、レジかごは重いし…。1回に2時間ぐらいが限度。朝少し、夕方少し。その合間にいろいろな用事で出かけることもあって、約20a、4枚の田んぼに1週間もかかりました。
 始めの頃は、何の因果でこの私がこんなことを…と、恨みタラタラでしたが、そのうち、取り終ったあとの奇麗な株間が誇らしく、また、目の前にある草だけをとっていく、何も考えなくてもいい仕事。なかなかいい時間だなあと思うようになりました。
 この春に、仲間と作り上げた「ていねいな暮らしがあった頃・伊深の百姓仕事」という昭和30年代の伊深の暮らしをまとめた冊子。この時代はみな、このようにして、来る日も来る日も田の草取りが夏の仕事であったという。そのことを聞き取り、書き記したのでしたが、実際に自分で「田の草取り」を体験して、この仕事が初めて、自分のものになった気がします。
 草取りを終えて一段落したら、もう、田んぼには次の草「ヒエ」が目立ち始めました。これからは「ヒエ切り」が「ていねいな百姓仕事」になります。

福田美津枝

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子供たちに伝えたいふるさと伊深
 -「伊深をめぐる路〜語り継ぎたい暮らしの風景」のマップづくり-

 近くのお年寄りから「井上村長は、その昔、伊深のためにいろいろな事業を起こしてくだれて、それで今、伊深はうるおっとるが、その頌徳碑は忘れられてしまっとるなあ」という嘆きの声が聞こえてきました。
 それで、私たちの読書サークル「伊深親子文庫」では、井上太十郎村長の経歴や取り組まれた事業、頌徳碑の場所などを文庫便りで紹介しました。
 紹介はしたものの、私たち自身も頌徳碑に行ったこともなければ、遺跡である灌漑池のありかも知らなかったので、一度私たちでその場所を歩いて確認しようということが始まりでした。

伊深をめぐる路〜語り継ぎたい暮らしの風景

(クリックするとPDFファイルが開きます。)
 サークルのメンバーに、伊深公民館の運営委員がいて、「遺跡巡りをするなら、公民館講座として開催して、地域の人にも呼び掛けてみよう、きっと、興味を持つ人もいるはずだから」と助言してくれたので、早速その手続きをして、地域の人に、回覧版で呼びかけました。
 「伊深めぐり」と名付けて計画した講座は、半日では巡りきれない程各所に巡りたいところが見つかり、結局3回に分けて行い、その都度、地域以外からも参加者がありました。その中に、毎回、市役所の方々がおいでになりました。その中の都市計画課のみなさんは、伊深を「里山のある景観地域」としてとらえ、市の景観モデル地域の1つに上げておられました。
 公民館講座の直後に、計画した私たちは「伊深地域景観ワーキング」の会合に呼び出されるようになり、そこで、景観保全の話し合いや、現地調査を行いました。その中で出て来たのが、伊深の自然や文化、遺跡の場所を示す地図作りでした。ワークショップの人達、専門家の先生がたを交えて、再度伊深めぐりを行い、それぞれの場所や景観スポットを確認して、地図=マップを作り上げました。
 マップの裏面には、私たちが伊深めぐりをしたときに、参加者にお渡しした、それぞれの場所のいわれなどを書きいれました。もちろん、この中には、当初の目的だった井上村長の残した灌漑池や、柴田長七さんが自費で掘った用水の取入れ口も説明してあります。
 講座を計画する中で、私たちは、伊深の自然や文化、遺跡などをきちんと子どもたちに伝えることにより、伊深に生まれ育ったことに誇りと自信を持ち、伊深を大切にしてほしいと思いました。その願いのこもったマップです。このマップにより、子どもたちと、さらに「ふるさと伊深」の姿を見つけていきたいと思っています。

福田美津枝

「伊深をめぐる路〜語り継ぎたい暮らしの風景」のマップは若干はありますので、希望される方にお分けします。農と人とくらし研究センターnouhito@rircl.jpへご連絡ください。郵送料80円でお送りします。

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野菜づくり講座

 地域のまちづくり協議会で進めている野菜づくり講座は、昨日、講師の先生(地元のおばあさん)が育てたキャベツ、ブロッコリー、レタスの苗を植えに来た人のために、ミニ耕運機で起こしてあげたり、畝を立ててあげたりして、何とか農園らしくなってきました。
 借り受けたその畑は、ずっと休耕していて、草刈りと耕運はマメにしてあったものの、やはり土の状態が悪く、ゴロンゴロンの土塊状態です。
 それでも12人の参加者のみなさんが家族連れで来たりして、楽しんでおられます。
 わたしもその苗を貰い、マイ畑に植えました。遅まきながら、かぶとにんじん、春菊も播きました。
 講座の方にかかりきりで、自分の畑仕事が大幅に遅れました。
 でも、お百姓の先輩方がよく口にされる、「種も苗も土に預けりゃ、きっと芽が出る、苗が立つ」の言葉に従って安心しています。
 今年は米の出来は悪く、里芋もさつま芋も悪いです。小さな芋もていねいに掘り取って食べています。
 菜っ葉類は元気で、抜き菜が楽しめますし、暑さが長引いたおかげで、ゴーヤーもいんげんもナスもまだ採れます。畑に作物を育てていれば、何かでおかずができるというありがたさをつくづく感じたこの秋です。

福田美津枝

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まちづくり協議会で野菜づくり

 まちづくり協議会は、執行部会、自治部会、地域部会の3部会で構成され、私は地域部会の一員です。地域部会は10人のメンバーで、地域の様々な団体の代表者で構成されています。女性が3人、男性が7人。年代構成は、男性の半分が70代以上、後の半分は40代以下。女性は50代2人と70代1人。
 地域部会はこの女性中心で進められています。日頃、地域のことをよく見聞きしているのです。70代以上の男性は何かと言うと「昔は良かった」。40代以下の男性は働き盛りで欠席しがち。いきおい、女性が発言し行動することになります。
 そんな中で始まったのが「野菜づくり講座」です。地域の田畑は転作政策や高齢化で荒れ始めて来ました。それに歯止めをかけることと、農業を暮らしの中に位置づける、すなわち、農のあるくらし、野菜やお米は自分の手で作ろうという目的で、地域内外から希望者を求め、畑で一緒に野菜づくりをしようと言うことで始めました。
 幸い、地域の目立つ場所の空き畑を借りることができ、12人の方たちと10月初めに冬野菜を播き、苗を植えました。アドバイスをするのは、メンバーと、畑近くに住む80代の女性Aさんです。Aさんは苗も用意して、毎日畑を見に来て、苗を補充したり虫をとったりしています。
 地域の方たちも興味を持ってみてくださっています。小さな畑での小さな取り組みですが、野菜づくりが少しずつ広がって行くように、この講座を進めていくつもりです。

福田美津枝

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手間と工夫の収穫祭

 まちづくり協議会が始めた野菜づくり講座の野菜が、収穫時期を迎えました。その収穫を祝うためと、講座に参加してくださった町の人々と、まちづくり協議会のメンバーが交流するために、12月16日に「収穫祭」を行いました。
 当日は10時に集まって、まず、収穫祭に使う野菜を採りました。収穫時期を迎えたと言っても、畑の土はやせ、しかも播き時が適期ではないものが多かったので、見た目は貧弱でしたが、大根も紅と白のかぶも、春菊も充分食べられるもので、近くの自治会館の調理場へ持ち込んで、みそ汁を作りました。
 紅かぶはさっと塩もみにして漬物代わりに。講師のAさんが自分の畑で作られたサラダ菜やサニーレタスはサラダに。持ち寄りのお漬物もたくさんあって、豪華な食卓です。
 お米は、地域の資源保全隊女性部が、休耕田で、小学5年生と一緒に田植えや稲刈りをして収穫したものを提供していただけたので、私特製の梅干しを入れたものと、しそを混ぜ込んだものをみんなでおにぎりにしました。
 お茶も自家製のものでということで、Sさん手摘みの番茶でした。
 講座生12人を含め総勢20数人が、畑の近くの駐車場を会場にして収穫祭が始まりました。まず、講師のAさんに、講座生代表がお礼の言葉を述べ、ママと一緒に何時も畑に来る坊やが花束を渡しました。その後は、お手製のお茶で乾杯をし、みんなで作ったおにぎりやみそ汁で楽しく会食です。野外での、畑仕事の後の食事の美味しいこと。おにぎりを平らげ、みそ汁は3杯もお代わりする人もあって、笑いを誘っていました。
 野菜づくり講座の畑には『びぎなーずファーム』という名前がつきました。講座生の方が名付け親です。その名を記した看板もその日に建てることになっていました。看板は、まち協のメンバーのIさんが、手近にあった端材を使って作ってくださったので、私と市のYさんとで、事前にニスを塗っておいたものを、この日にペンキで書き、どこからもよく見える場所を選んで、畑に建てました。
 食事の後には、看板の除幕式です。端材の木目が浮き出た板に、こげ茶色のペンキで書いた文字が、地域の風景にマッチして、とてもいい感じです。みんなで看板の周りに集まって記念写真をパチリ。とてもいいお顔の写真でした。
 その後、それぞれ家へ持ち帰る野菜を収穫して、大満足で収穫祭が終りました。
 まちづくり協議会は、住民が自らの手で町を良くしていくための活動を進めています。市から、会や行事の運営などの支援はしてくださいますが、お金は1円も出ません。でも、それだからこそ、みんなが知恵と技を出し合っています。今回も、そんな姿勢で収穫祭を行うことができました。そして、地域へ来て下さる人達を、手間と工夫でもてなそうという気持ちも大いに発揮しました。
 講座生の方々が、野菜づくりを通して、地域を知り、馴染んでいただきたいと思っています。

福田美津枝

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http://www.rircl.jp/ 農と人とくらし研究センター