のふう草

コラム「のふう草」について
生活改良普及員として35年を過ごす間に、農村を舞台に魅力的に暮らす農家の女性たちに出会いました。岐阜県美濃、濃尾平野の北端で山と川と田畑に囲まれて、農婦の暮らしを愉しみ、その暮らしぶりを風のように軽やかに伝えたい、それがコラムに込める思いです。農婦と農風をもじった「のふう」と名もない「草」でありたい「のふう草」が私の舞台です。
福田美津枝


のふう草 vol.1 vol.2 vol.3 vol.4 vol.5 vol.6


日替わりスープを楽しむ・たまねぎの季節節

 たまねぎは重宝な野菜ですが、秋から冬にかけてたまねぎが古びてくると、皮が張り付いてしまって、剥くのが大変でが、今の新たまねぎは、皮もまだ緑がかってみずみずしく、剥きやすくて助かります。
 たまねぎは味噌汁の実や済まし汁の実にもおいしいもので、ちょっとおかずが足りない時にはたくさん入れておかず代わりにもなりますが、飽きてきたら洋風や中華風にもいかがでしょうか。
 だしの代わりにコンソメスープの素を入れて塩・こしょうで味付け。ベーコンやにんじんのせん切りを加えてもよし。じゃが芋を入れて牛乳やクリームシチューの素を入れればボリュームのあるシチュー。カレールウならカレーシチューに。マカロニとトマトを入れてケチャップやトマトソースでイタリアン。しいたけとともに中華スープの素を入れてかたくり粉で閉じれば中華風にと、たまねぎに何かをプラスして調味料を代えるだけで、日替わりのスープが楽しめます。

福田美津枝,『日々の暮らし・日々の食べもの 26』より転載

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環境保全のために川の草刈?

 6月の初め、集落の班長さんから連絡がありました。「○○日の夜7時から公民館で寄り合いがあるで来てくんせえ。来た人にはみんなに草刈機の刃が貰えるそうやで」。「何の相談やろ、触れてきたのは組の班長さんやで、農協の話やないし、なんで歯が貰えるんやろ」家人と色々考えても訳がわかりません。「まあ行ってみりゃわかるやろ」ということになりました。
 ○○日の夜、寄り合いから帰ってきた家人が見せてくれたのは「農地・水・環境保全向上対策事業」のパンフレットでした。そして「24日の日曜日に別所(わが集落名)総出で川の草刈をやることになった、今日貰ってきた歯はそのためやで」と言います。
 この事業は私がまだ勤めていた時に、19年度からの実施に向けて、地区を選定したり、事業内容を理解してもらうために、農林事務所のほうから農業改良普及センターへ依頼があって、何度も検討会をしていたものでした。「ははあ、いよいよ始まったのだな」と思いました。家人に「誰か、県とか市から来て説明した?」と聞いたら、「いや、K地区のTさんが来て説明しただけで、他には誰もおらん」と言うこと。「事業のことはどんな説明やった?」と聞いても「詳しいことはわからん、これ読んどけと言うことやった。そやけど、とにかく24日は朝8時から草刈や」。
 24日は8時に草刈機を担いで家人が出て行きました。すぐに川のあちこちでブーンと草刈機のエンジンの音が響き始めました。その日は市の森林組合の総代会も9時から「健康の森」で行われることになっていて、草刈に出かけた家人に代わって、私が総代会に出席しました。行ってみるとO地区の総代さんが来ておられて、雑談されていましたが、そのうち「今朝はもう一仕事済ませてきた、部落中で川の草刈をやってきた」と言う話が聞こえてきました。O地区もわが集落と同じだったのでした。
 総代会から帰ってきたら、目の前の川はすっかり草が刈り取られていました。葦や菖蒲やクレソンの草むらはきれいになくなって、川はすっかり丸坊主。今年はずいぶん蛍が増えてきたのに、その棲みかがなくなっていました。
 市の環境経済部長はこの事業について「19年度は市内の5ヶ所の約123.3ヘクタールの農地をモデル地域とし、事業費約500万円を予定している。事業内容は畦畔や農地の草刈、水路の泥上げ、用排水路の点検補修、生物調査や花植えなど、地域が共同して環境保全を推進する事業としたい」(T市議会議員さんの議会活動だよりNo65より)と述べておられます。「環境保全のためなら、蛍やその他の昆虫や魚の棲みかとなる川の草を刈ることはないのに、なんで川の草刈やの」、家人にそう言うと「そういえばそうやな、ほんでもあの時は刃が貰えたで、みんな素直に草刈るんやと思ってしまったんやなあ、今から考えるとおかしいなあ」。棲みかを奪われた川での生物調査の結果がどのようなものであるか、大いに期待したいものです。

『ひぐらし記』No.16 2007.8.20 福田美津枝・発行 より転載

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お盆の七色汁

 禅宗の家では、お盆におしょろ(精霊)様を出して、仏様を迎えます。仏壇の脇に精霊棚を作り、位牌を並べ、お供え物をして、位牌の前には膳を作ります。その膳には、仏様をお迎えして送り出すまでの間、あんころ餅や白餅、ご飯、おかずを作って朝・昼・晩の食事時にお供えします。この時に作るお供えの1つが七色汁(なないろじる)です。
 義母は14日のお昼に七色汁をお供えするというので、ずっとそのようにしてきました。ところが、今年の盆の14日の午後、用事があって出会った隣集落のFさんから「七色汁は15日の昼に供える」と聞きました。Fさんは嫁に来てからずっと、お姑さんに教えてもらったことを紙に書いて残している、そして七色汁の中身も昔から決まっているので、毎年その通りにしていると言うことでした。
 Fさんに教えていただいた七色汁の中身は里芋、だつ(里芋の茎)、にんじん、ごぼう、なす、油揚げか豆腐、そして味付けのしょうゆの7種類です。この汁は仏様にお供えするのでかつお出しも煮干も使わない、しかしそれではうまくないので、おしょろ様に供えた後に出しを入れておいしくして人間様は食べると言うものでした。
 我が家はそれに比べればずいぶんいい加減です。とにかく七色あればいいというので、今年はなす、いんげん、玉ねぎ、きゅうり、しいたけ、じゃがいも、油揚げの七色でした。義母はハスダツ(茎の緑色の里芋で、赤だつのように茎を主に食べるもの)や里芋を入れていましたが、この頃ではハスダツを作らなくなったし、里芋も私は掘ってこない(掘れない、掘る気がない)ので省略して、身近にあるもので済ませています。Fさんのお話を聞き、ごぼうも里芋も畑にはあるので、やはり根気出して掘ってこなければいけないと反省しました。
 その翌日、以前からくさぎご飯のことを教えていただきたいとお願いしていたEさんから、「今くさぎご飯を炊いておしょろ様にお供えしたから来て頂戴」と電話があって飛んでいきました。おしょろ様の前にくさぎご飯、七色汁、なすの塩もみ、お茶がお供えしてあり、私のためにくさぎご飯と七色汁を用意して、もてなしていただきました。くさぎご飯のことをお聞きしながら、七色汁についても教えてもらいました。
 Eさんのところも15日のお昼に七色汁をお供えします。中身はその時にあるもので済ますと言うことで、今年はオクラがたんとあったからオクラを入れたとおっしゃいました。いただいた七色汁にはなす、ごぼう、きゅうり、オクラ、里芋、油揚げなどが見受けられました。
 Eさんにもおしょろ様のお供えのことをお聞きしました。Eさんも台所から紙切れを持ってきて、それを見ながら教えてくださいました。その紙にはきちんとおしょろ様の献立が書いてあるようでした。皆さん記録してとってあります。いつもいい加減な覚えで済ませてきたことを反省、これからは記録すべしと誓いました。
 Eさん宅のお供えはFさん宅ともわが家とも違います。Fさんに聞いている時に一緒におられたAさんは、「その家、その家に伝わっていることはいろいろあって当然で、どれが正しいと言うことはないんやよ」、「そのうちうちのおしょろ様のお供えを調べたら面白いんやないかね、今だれかが記録していかんと消えていかへんかね」と言われました。
 この七色汁は、同じ禅宗であった実家では作っていませんでした。距離にして5kmほどしか離れていないところです。Fさんもやはり隣町の禅宗の実家では作っていなくて、伊深へ来て始めて知ったということでした。ところが、昨年8月25日の農業新聞には、三重県鳥羽市の小崎さんという方が、
 夏野菜がたっぷり入った「ぼん汁」は守るべき大事な伝統料理の1つだ。ぼん汁は、親から子へ、子から孫へと伝えられてきた。具材として7色になるように野菜を入れて、別名「七色汁」とも呼ばれる。「なぜ七色なのかはわかっていない」と言う。
 ぼん汁 材料(かぼちゃ、なす、里芋、枝豆、ごぼう、にんじん、ユウガオかトウガン みそ)

 このように紹介されていました。ぼん汁というものの、盆だけのものではなく、夏に食べる伝統料理で、夏ばて防止にもぴったりで、みその味が優しく夏野菜を包み、食欲がどんどん湧いてくると書いてあります。
 伊深の七色汁と同じようなものが遠く、海辺の鳥羽市で、海女として83歳まで現役だった方に、その土地の伝統料理として紹介されていたので、興味深く切り取っておいたものです。調べれば、七色汁の存在や謂れなどが各地から現われそうな気がします。身近なところから聞いていきたいと思います。
 福井や兵庫あたりで恐竜の化石が発見され、古代の生物への関心が高まっていますが、それと同じような未知への発見に胸が躍ります。

『ひぐらし記』No.16 2007.8.20 福田美津枝・発行 より転載

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土用餅を食べる会

 真夏には土用餅という風習がありました。ところが、いつの間にか、世の風潮に流されて、土用の丑の日にはスーパーでうなぎの蒲焼を買う日になりました。
 土用には土用餅が理に叶ったこと、もち米を搗き、小豆や貴重な砂糖を使ったあんこをまぶして食べる餅は、昔の人にはどんなにかうまくて、しかも暑さを吹き飛ばす滋養に満ちた食べものだったことか。
 それで、今年は「土用餅」を復活させました。最初は土用に入ったばかりの土曜日、以前の職場で一緒だった若い人たちに声をかけ、我が家で餅を搗きました。小さな赤ちゃんまで含めた10人ほどが集まり、餅つき機でゴネゴネと回すだけの餅にあんこ、きな粉、ゴマをつけていただきました。
 2回目はいつもお世話になっている方々に声をかけ、お昼に何か一品づつ持ってきていただき、土用餅を搗きました。やはり、あんこ、きな粉、ゴマのお餅です。様々な手料理などが持ち寄られて、話題も賑やかな食卓でした。
 土用餅を食べるということは、おいしいものをお腹一杯食べるだけではなく、人が集まり、愉快に語り笑って過ごすことが、夏を乗り切る力を得て、元気の源になるのではないかと思った2日でした。

『ひぐらし記』No.16 2007.8.20 福田美津枝・発行 より転載

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土用餅復活!大勢で食べる楽しさ

 子供の頃、毎年、真夏の暑い日に、朝出かけた父が、お昼頃にはたくさんのあんころ餅やきな粉餅を持って帰り、家族みんなで食べたものでした。近所の人たちと土用餅を搗いていたのでした。真夏には土用餅を食べるものだと思っていました。
 ところがいつの間にか、世の風潮に乗って、土用の丑の日にはスーパーでうなぎの蒲焼を買ってきて、食卓に載せていました。
 地域の食べものに関心を持つようになってから、やはり土用には土用餅が理に叶ったことだと考えるようになりました。貴重なもち米を搗き、これも貴重な小豆や砂糖を使ったあんこをまぶして食べる餅は、昔の人にはどんなにかうまくて、しかも暑さを吹き飛ばす力がつくような滋養になる食べ物だったことか。
 それで今年は「土用餅」を復活しました。最初は土用に入ったばかりの土曜日、以前の職場で一緒だった若い人たちに声をかけ、我が家で餅つき機で搗いてあんこ、黄な粉、ごまのお餅をいただきました。2回目は8月になって、お世話になっている方々に声をかけ、同じように拙宅で土用餅と持ち寄り料理の会でした。真夏に食べる餅の力もさることながら、大勢でガヤガヤおしゃべりをしながらいただく楽しさが、真夏を乗り切る力になったと思った2日でした。

福田美津枝, 『日々の暮らし・日々の食べもの 30』より転載

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お日様の贈り物・干しなすと干しきゅうり

 ぎらぎら太陽が照りつける夏、暑いことは暑いのですが、お陰で太陽熱ヒーターの水は熱い湯になり、お風呂の燃料代がかかりません。このエネルギーを他にも利用できればと思っていたところ、雑誌で干しナスを見つけました。なすを薄く切り、一日お日様に当てると水分が飛ぶので、生なすとは違う新しい食感の野菜になりますという説明でした。
 早速試してみました。なすを縦半分に切り、5ミリほどの厚さに切って水につけてあく抜きをし、ざるに広げて干しました。途中、お昼に手返しをすると、夕方シナッとしたなすになりました。さっと洗って、鍋に油を熱し、よく炒めた後、煮干と油揚げを入れ、少々辛めにしょうゆで味をつけました。歯ごたえがあって、いつものなすの煮物とは違います。干し上げたときにかさが減るので、採れ過ぎて食べ切れない時にはよい方法です。
 採れ過ぎたきゅうりでも試してみました。同じように切って干し、今度はフライパンで片栗粉をまぶしてあげた高野豆腐と一緒に炒め、塩と少しのしょうゆで味をつけ、オイスターソースで中華風にしてみました。こりこり感があって、なかなかいいです。お日様のエネルギーを利用できて満足しました。

福田美津枝, 『日々の暮らし・日々の食べもの 31』より転載

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くさぎのこと

 私の暮らしている所には、臨済宗妙心寺派の「正眼寺」というお寺があります。650年ほど昔、このお寺を開いた慧玄さんというお坊さんが、「くさぎ」という植物を食用に工夫して、村人に教えてくださいました。それ以来、村人は初夏にくさぎの葉を摘んでゆでて水にさらして干し上げ、食べ物のない時などに戻して食べていました。  しかし、食べ物が豊富になるにつれて、いつの間にかこのくさぎを保存して食べることもなくなり、絶えようとしていました。
 第2次世界大戦のときに、正眼寺を頼って疎開してこられ、そのままこの地に住み着いたSさんは、正眼寺に伝わるくさぎをずっと伝えてこられました。地域の文化的な活動の中心人物であるSさんとともに、この「くさぎ」を守り広めようとして、私たち数名が活動を始めています。その一端を、昨秋、地域の小さなFM放送でお話しした時にまとめたものが次の文章です。
 地域の人たちがくさぎのことをよく理解し、地域に伝わる大切な物として考え、少しでも食べ物として復活していくことを願って、これからも活動していくつもりです。
 

FMでんでん 11/3 12:20〜放送のお話内容

伊深町くさぎの会

くさぎのこと

 美濃加茂市伊深町には、くさぎという植物で作る「常山」という食べ物がありました。みなさん、くさぎという植物をご存じでしょうか?これは、くまつづら科に属する植物で、畔や山際に茂り、2〜3メートルの高さの木です。春先に葉を伸ばし、この葉を食用にします。
 伊深町にある正眼寺という妙心寺派の禅宗のお寺では、毎年6月1日に、雲水さんたちがこのくさぎの葉をとり、大なべでゆでて、その後水にさらして1枚1枚広げて干し上げ、乾いたものを保存しておいて、使います。
 食べ方は、水に戻して刻み、大豆と一緒にしょうゆで煮ます。これが最初にお話しした「常山」という料理です。正眼寺に伝わる精進料理で、今でも正眼寺では、7月10日のお舎利講や、10月12日の開山忌のおとき料理には必ず出されます。
 なぜ正眼寺でくさぎの料理を出すのかと言えば、これにまつわる1つのお話があります。昔々、花園天皇のころに、京都で修業を重ねた慧玄さんというお坊さんが、伊深の地に来て、修業をしていました。村人に食べ物を恵んでもらっていましたが、貧しい村人から食べ物を貰うに忍びなく、だれも食べなかったくさぎの葉っぱを食べられるように工夫してして食べました。やがて京の都に帰って行くときに、村人にこのくさぎの食べ方を教えていきました。それが、慧玄さんが開いた正眼寺や伊深の地域に伝わってきていたのでした。
 伊深町の各家々では、昔から6月になるとくさぎの葉をとり、ゆでて水にさらしてあくや苦みをとり、広げて乾燥して保存食にしていました。ところが食べ物が豊富になり、苦労しなくても何でも食べられるようになると、だんだんくさぎを食べることがなくなって、忘れられてしまいました。
 私たちは、伊深に伝わるくさぎ料理を絶やしてはいけないと思い、昨年から色々なことを行ってくさぎのことを広めています。そのことが認められて、今年は伊深町公民館講座に取り上げられました。くさぎは夏に甘いユリのような香りのする白いきれいな花をつけます。秋にはそれが実り、赤い萼の上に青い小さな実をつけます。その実は昔から水色に染める染料として使われてきています。また、食用にする葉からも薄い緑色に染めることができます。
 そこで、公民館講座では、6月にくさぎの葉をとってゆでて水さらしをして、干し上げることを、7月にはくさぎの葉での染め物講座、8月はくさぎの料理、10月にくさぎの実の染め物の4回の講座を行いました。最初は近くの方が10人ほど集まるものでしたが、回を重ねるに従って参加者が増え、遠くは八百津町や可児市から来ていただいた人もありました。
 8月のくさぎ料理の講座では、くさぎと大豆の煮ものの「常山」と、煮たくさぎを混ぜこんだくさぎご飯、くさぎの入った七色汁を実習しました。これらにはジャコを入れたりして、現代の口に合うようにしました。くさぎを混ぜて焼いたえんねパンも試食しました。夏休みのこの時には、伊深小学校の先生も来て下さって、くさぎ料理を召し上がっていただきました。
 これがご縁で、10月29日には5年生の学級で、子供達と一緒にくさぎ料理を実習して、伊深に伝わってきたくさぎ料理を体験してもらいました。子供達の反応は「くさぎの葉っぱは臭いけど、調理をしたらおいしくなった」「お母さんに食べさせてあげたい」「自分でくさぎを採りに行って料理を作りたい」などと言い、感想文には「伊深に伝わってきたくさぎを僕たちも伝えて生きたい」ということも書いてありました。
 11月2日は、伊深町文化祭でしたが、昨年に続いて、今年もくさぎコーナーとしてくさぎ染めの作品を展示したり、くさぎを現代の食事に使おうということで、くさぎ入りオムレツやクッキー、えんねパンの試食なども行いました。
   このように、少しづつではありますが、伊深に650年も昔から伝わるくさぎを、さらに後世に伝えることをしながら、郷土を大切にすることを子供達に伝えていきたいと思っています。

福田美津枝

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こじきねぶか

nobiru 木々の芽ぶきが盛んなころ、野山を何人かで歩いていた時のことです。誰かが野蒜を見つけて掘り採ったことから会話が始まりました。
「この前テレビで見たけど、皇后さまが御所を散歩しとって、野蒜を見つけんさった。天皇陛下に見せんさって、『この野蒜は酢味噌和えがおいしいですよ』と言いんさった。ここら辺じゃ『乞食ねぶか』っていうんやけど、そんなもんが皇居にも生えとるんやなあ」
「そうらしいなあ。乞食ねぶかもえらい出世したもんや」
「皇后さまはいつこんなもんを食べんさったやろ」
「戦争中は疎開しとんさったで、そんな時に食べんさったやろうか」
「よう今まで覚えとんさったなあ」「ほんとやほんとや」
「酢味噌和えもええけど、乞食ねぶかは卵とじが一番やなあ」
「そやなも、わっちも卵とじは好きやわ、あれはええなも」
と会話が続いていきました。
 私の住む地域では「野蒜」のことを「乞食ねぶか」というのです。畑ではなく、あちこちに雑草のように生えるからなのか、それを乞食でも採って食べられたからなのか、ひょろっとした姿が乞食を連想させたのか、義母に聞いてもその訳はわかりませんでしたが、ある時、知り合いの家で野蒜の根元の球の部分だけをさっとしょうゆで煮たのがおいしかったので、早速家の周りで採ってきて煮てみたら、「なんや乞食ねぶかか、そんなもん、うまいことないで」と鼻先でけなされてしまったので、乞食=まずいものという意味もあるのかと思っていました。

 皇后さまが野蒜の酢味噌和えを疎開時代に食べられたとしても、一般庶民はなおさら、その頃やそれ以前の時代には、野草ならずとも野菜でも味噌和えにするか、地だまり(自家製たまり)でさっと煮ることくらいしかしなかったのではないでしょうか。以前、八十代くらいの方から、「昔は何でもみそ煮やった、たまりはなんぞごとの時にご飯を炊くくらいしか使えんかった」ということを聞きました。酢味噌和えは、酢も砂糖も購わなければならないので、この時代にはきっとご馳走だったのです。
 さきほどの会話の主たちは、七十代前後、皇后さまと同じ年頃です。疎開=戦中の頃はまだ子供でした。きっと乞食ねぶかの卵とじを作って食べたのは、嫁入りして主婦として落ち着いた三十代から四十代頃か。そのころならば卵もふんだんに使えるような時代になって、ただしょうゆで煮ただけの乞食ねぶかに、さっと溶き卵を回しいれて半熟に煮る卵とじはおいしい料理だったのでしょう。

 山歩きの翌日の日本農業新聞に、「野蒜の唐揚げ」を見つけました。ナチュラリストの方の「育てて食べるおいしい野草」という文の中に、「野蒜の根っこの球をさっと唐揚げして塩をぱらっとふる」とありました。時が現代まで進んでくれば、今度は油を使う揚げ物料理となりました。そういえば、この頃のアウトドアブームや山菜ブームなどで、山菜の食べ方を紹介してあるのは、大体が「天ぷら」で食べるというものです。しかし、山間地域のお年寄りに聞くと、もみじがさも、こしあぶらも、こごみも、タラの芽も、茹でておひたしにするとか、さっと煮つけるとかとおっしゃいます。昔からそういう食べ方をしてきて、それが一番おいしいということでしょう。

 「野蒜」1つをとってみても、こんなに食べ方が移り変わってきました。その時代の暮らし方、経済事情、食のあり方で、食べ方が変わっていきます。食べること・食べ物・食べ方は一つところにとどまらず、時代に合わせて変わっていくことが見てとれました。

 郷土食というものは、ある一定のもの、一定の作り方、一定の素材というものではなく、その時代の世の中の状態、家族の好み、調理の技術など、さまざまな要素によって変化していくものだということを考えました。

福田美津枝, 2009年4月23日 のふうそう

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近況を知らせる手紙(上)

 岐阜市の西で、ハウストマトとスイートコーン、梨と柿の果樹園を経営している○子さんから、トマトとスイートコーンに添えて近況を尋ねる手紙がきました。これからは野菜つくりを始めると宣言したので「野菜苗は育っているか」「草との戦いには負けていないか」などと書かれていた、その手紙への返事です。私の近況をごっそり書いたので、皆様にも近況をこの返事でお知らせします。

 

 今日もまた雨になりました。
 たくさん、トウモロコシとトマトを送っていただいて、ありがとうございました。
 わが家のトウモロコシは、昨日、夫が、第1回播きのものを、2つだけ色んでいるから、採って茹でるようにと言いましたが、たった2つばかり茹でてもしょうがないと思って、そのままにしていました。その後播いたもののヤングコーンがかごにたくさん採ってきてあるので、今日はその始末(剥いて茹でておく)をするつもりでした。だから、今日は送ってもらったトウモロコシをゆでて食べます。ありがとう。トマトもまだ色んでいないので(雨が多いせいか、なかなか色まない)、嬉しいです。今、早速1個かぶりつきました。ああおいしい。夏の香りがします。今、一番忙しいという時なのに、お手数をかけて申し訳なくも、ありがたく戴きます。

 一般の野菜は、母が作るので、私はブラジル野菜(トマト、ナス4種類くらい、ズッキーニ、ピーマン2種類、カボチャ、オクラ、レタス、つる菜みたいなもの)を育てています。その他には山クラゲ、バジル。これらは、ブラジル野菜を種から育てている可児市の方に貰った苗です。ナス、オクラ、ピーマン、ズッキーニが成り出しています。バジルもレタスも食べていますが、もうトウが立ち始めました。
 そのほか、親戚のおばさんがくれた赤だつの里芋、隣のおばさんがくれた里芋、友人に貰ったゴマと落花生の種、オクラとモロヘイヤの苗、5〜6年前に栽培したそばの種をまいています。これが、なかなか順調には育たず、普及センターにいた時、もっとしっかり、普及員さんの教えを聞いておけばよかったと後悔しています。
 畑を起こす小さな管理機は今年買ったので、起こすことは楽ですが、畝を立てるのが大変で、畑を見に来た別の友人が、「後家畝」だと笑いました。支柱を立てるのも女の仕事なので、自分でも、これが支柱になるのかと心配、ちょっとの風でも倒れそうです、今のところは大丈夫だけど。でも、ブラジル野菜は、日本のピーマンやナスと違って、芯が太く丈夫なので、最初に建てた支柱よりもしっかりと立っています。

 畑は、家から離れたところで、ずーっと何も作っていなかったところへ、畑の作り土だと言われて土を入れて貰ったら、石混じりのガラガラ土で、起こす度に石が出てきて、雨が降るとまた石が出てきて、大変な畑ですが、母が来ることができないところなので、思うように、好きなように畑作りができます。
 発酵した鶏糞堆肥を入れて、山から肥料袋に入れて運んできた腐葉土を入れて、少しだけ化成肥料を入れて作っています。

『ひぐらし記』No.22 2009.7.20 福田美津枝・発行 より転載

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近況を知らせる手紙(下)

 草との闘いは負けそう。闘う草には3種あって、1つはこの私の畑の草。畝と畝の間にびっしり生え出して、雨間を見ては草引きに行くけど、引き終わる頃には引いたところにもう生え出して、追いかけっこも甚だしい。夫は、畝と畝の間を広くして、管理機が入るようにすればよかったのにと、今頃になってご忠告。来年はその通りにします。

 もう1つの草は、田んぼの畦草。田植え前とその後、そして2週間前にと、もう3回刈りました。30aの5枚の田んぼの畦は、刈り払い機で刈りだせばそう大変ではないけれど、少し刈り遅れると、刈り払い機に巻きついて、歯の回転が止まってしまうので、しょっちゅう巻きついた草を取り除かなければなりません。
 畦の斜面は刈ることはなかなかつらい。畦の上からと下からと2段構えで草を刈るのですが、刈り払い機を大きく振り上げ、振り下げ、そのために足に力を入れて踏ん張らなければならない。山の中の1つの田んぼは、畦ののり面が大きく、3段構えで刈らなければならない。それも急斜面であるから足場も十分でない。ここでずり落ちて、しかも回転している歯の上に落ちることにでもなったら…。まったく命がけです。母が隣の田んぼの畦の刈り跡と比べて、いつも「(隣の田んぼの)嫁さんは上手に刈らっせる」と言うのですが、刈り払い機を使ったことのない母には、この命がけを分かってもらえないのです。
 そして、刈って散らばった草を寄せたり、溝に落ちた葉を引き上げたりして、3〜4日後には、枯れた草を燃やさなければならない。これも大変。風のない夕方、熊手で枯れ草をかき集め、ライターで火を付ける。さっと火がついて燃えてくれればいいけど、生乾きだったりするとなかなか火がつかない(雨が多い今時分は、表面は枯れていても、内側はまだ枯れ切っていないところが多い)。ブスブスくすぶる火に手こずり、やっと出てきた煙に燻られ…。でも、この草が燃えるにおいは、郷愁をくすぐられ、嫌いではなく、夏の夕方、日が沈み、夕飯のために家に急ぐ若いころの切ない心持が甦ります。
 ところで、このような思いをして畦草刈りをしているというのに、わが夫は、やれ刈り手が確保できたとばかりに、手を出さなくなったのですよ。夫は、こちらが痺れを切らすまで、なかなか刈ろうとはしないので、たまりかねて私が刈るのをしめたと思っているのです。畦が草ぼうぼうなのは許せないという私の美意識が、この草刈り戦の敗因となっているのです。

 3つ目の草は、屋敷周りの草。母は自分の畑の手入れや草引きに往生しているので、いつの間にか、屋敷周りの草引きは私の仕事になりました。(屋敷と言っても大きなお屋敷ではなく、この辺りでは家の周辺のことを、どんなに小さなあばら家でも屋敷周りというのですが、誤解のないように)これもあっという間に生えてきて、洗濯物を干したりとり込んだりした時に気がついて引き出すと、あっちもこっちもと目につき、始末に負えません。裏庭は、あまり日が当らずに、生えてくる草もヒョロヒョロで引きやすいですが、表の庭は良く日が当り、人に踏まれるところなど、葉は地面に広がり、しっかり根をおろしているので、草引き鎌で掘り起こさなければなりません。でも、除草剤をまかれてはならないと、これから盆前には心して取り除くべく、覚悟をしています(あまり草がひどいと、母は除草剤をかけるのです。もっとも最近は噴霧器を背負う元気がなくなったのですが、夫や隣人に頼むこともあるので、油断できない)。

 以上この3つが草との闘いであると思っていたら、もう1つ手ごわい相手が現れました。田の草です。田植え直後に除草剤を振るのですが、今年は除草剤散布後の水管理が悪くて、家の裏の田んぼ2枚にひどくたくさんの草が出現しました。そうなると義母が黙っていません。「田の草をとれ」「そのままでいい、減収しても大したことない」(嫁の私ではなく、息である夫との応酬です)すったもんだの挙句、とうとう田の草取りをする羽目になりました。"泣く子と地頭ならぬ(姑)には勝てぬ"です。こちらが泣きたい!
 草との闘い、まだ始まったばかり。あと2カ月は、本格戦になる模様。草刈り鎌を振り上げる右腕・右肩がいつまで持つかが心配です。

 ところで、お隣の富加町で梨園を始めた人がいます。今年はオーナー制を売り出したところ、50人のオーナーができて、8月中ごろの日曜日に収穫祭をされます。その梨園の奥さんはJAの元生活指導員さんで、娘さんは、3月まで一緒に仕事をしていた普及員さんです。そういう縁があって、収穫祭には、梨カレーをオーナーさんに振る舞う手伝いをすることになりました。というか、こういうことをして楽しんだらいかが?と持ちかけたら、乗ってこられたのですけど。梨カレーは、昨年「現代農業」誌で見て、やってみたら結構よかったので、いつかどこかでやってみようと思っていたのです。
 ○子さんのところがもっと近かったら、作って持って行ってあげたい。今が一番忙しく、食事の準備もままならないとか。今採れ始めたブラジル野菜は、煮込む料理に適しているようなので、たくさん作って届けてあげたい。だけど私も今は暇がなく、一刻でも多く畑に出て、草引きをせねばならない身の上なので、食事を届けて上げられないのですが、いつか、何か送ることができるかもしれません。
 体もあまり酷使しないように、ひざや首の痛みが再発しないように、十分心がけてください。くれぐれも無理しないように、食べるものも食べて。ではまた。岐阜へ行くことがあったら寄ります。ありがとう!  7月3日書く

『ひぐらし記』No.22 2009.7.20 福田美津枝・発行 より転載

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http://www.rircl.jp/ 農と人とくらし研究センター