のふう草

コラム「のふう草」について
生活改良普及員として35年を過ごす間に、農村を舞台に魅力的に暮らす農家の女性たちに出会いました。岐阜県美濃、濃尾平野の北端で山と川と田畑に囲まれて、農婦の暮らしを愉しみ、その暮らしぶりを風のように軽やかに伝えたい、それがコラムに込める思いです。農婦と農風をもじった「のふう」と名もない「草」でありたい「のふう草」が私の舞台です。
福田美津枝


のふう草 vol.1 vol.2 vol.3 vol.4 vol.5 vol.6


平成の現代も田んぼの水争い

tanbo 朝早くからポンプの音がします。夜から続いている音、川から田んぼに水を上げるポンプの音です。田植えが終わって、田んぼに水をつけたいのに、雨が少なくて、水が来なくて、田んぼに水をつけられないからです。
 うちの周りの田んぼは基盤整備がしてなくて、田んぼの水を川から引く用水やため池の水に頼っています。それで、代掻きが始まる頃になると、水路から水を引く家に「○日○時に溝さらえをします」というお触れが来て、みんなで溝さらえや水路の周りの草刈をします。そして、上の田んぼから順々に水を引いて行きます。雨の多い年は十分水があるので、下の田んぼでも、少し待てばすぐに水が来ると安心して待っているのですが、今年のように水が少ない年は、代掻きも田植えも、まず水引です。
 代掻きや田植えの頃はまだ時々雨が降っていたので、水がつくまで、少々待って始めればよかったのですが(それでも我が家は1枚の田んぼに、予定していた日曜日に水がつかず、仕方なく1週間後の土曜日に代掻き、その翌日に田植えという始末)、田植え後1週間、ぜんぜん雨が降らず、川の水も少なくなって、水路の水の取り合いになりました。
 日曜日に除草剤をまく積りで、土曜日の夜に田んぼに水を引いておき、日曜の朝見たら全然入っていない。水路をたどるとうちへ来る水みちが完全に閉ざされ、よその田んぼに引いてあったとか。「自分のとこへ引くにしても、半分は残しておくもんや」と義母がかんかんになって帰ってきました。
 この日は暑い日中も母がこまめに水路を見て回り、ようやく夕方水がついて、除草剤をまきましたが、どうしても1枚の田には水が足らず、日延べとなりました。
 水路の水を待ちきれない人は、直接目の前の川からポンプで水を汲み上げ、田んぼに入れています。今朝は2台のポンプがエンジン音を響かせていました。その横を水着を持った小学生の一団が通り過ぎていきました。先週プール掃除をして、今日からプールが始まると、校長先生が話しておられました。「岩屋ダム(美濃加茂市の水源ダム、木曽川の支流飛騨川上流にある)の水が少なくて、もうすぐ節水宣言が出るらしく、そうなると真っ先にプールは取りやめになるんですが…」とも話されていたことを思い出しました。
 先週までは「天気が続かんかなあ、たまねぎの軸がよう乾くように」と言っていた義母は今、「いつ雨が降るんやろ、降ってくれんと米ができん」と嘆いています。この分ではプールも取りやめになりそうですし、これから先も水争いが続き、川からは少ない水をくみ上げるポンプの音がますます高くなりそうです。もうすでに少雨の影響が出ています。

『ひぐらし記』No.14 2007.6.1 福田美津枝・発行 より転載

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Aさんに教えてもらったこと [いたどり]

itadori 昨年の春、Uさんにいたどりの食べ方を聞かれました。そこで今年は食べ方を研究してみることにして、Uさんの山に採りに行きました。Uさんが人から聞いた方法は、皮を剥いて重曹を入れたぬるま湯に一晩浸け、そのあと水に浸けてあくを抜き、汁気がなくなるまでしょうゆで煮るということでした。また、三杯酢で食べる方法もあるということで、それを試してみることにしました。
 その時、用事があってAさんの家を訪ねていくと、玄関先に籠に入ったいたどりがありました。早速食べ方を聞くと、「皮をむいて、食べる大きさに切ってポリ袋に1回分ずつ入れ、塩を入れて空気を出して口をしっかりしぼる。そのまま冷蔵庫に入れ、塩が溶けたら漬け上がり。後は冷蔵庫にそのまま入れておいて使うたびに塩出しをして煮付けるだけ」という、いたって簡単な塩漬け保存を教わりました。
 Uさんから煮たものが届きました。おいしいです。私も煮付け(Uさんより少し汁気を残して)、三杯酢を作り、Uさん初めいろいろな人に食べさせました。いたどりと聞いてみんなびっくり。Aさんに教えてもらった塩漬けもして、冷蔵庫に入れていましたが、シティホテルで「伊深のご馳走」を出す友人に差し上げたので、これは来年また作ってみるつもりです。Aさんはいたどりの煮物がお客さんに一番喜ばれるといっておられました。珍味なのです。
 ちなみに農文協の「日本食生活全集」で調べたところ、和歌山、京都、愛媛、新潟などで食用にされていることがわかりました。塩漬けにして保存し、塩出しして煮物にして食べるようです。

『ひぐらし記』No.14 2007.6.1 福田美津枝・発行 より転載

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Aさんに教えてもらったこと [お茶]

chabatake 自家用のお茶を作るのが永年の願いでした。昨年は時機を失したので、今年はよい時機を見て茶摘をし、お茶にしようと計画していました。読書会でAさんに出会ったので、いつお茶を摘んだらいいのか聞きました。「八十八夜ではまだ早い、もうちょっと後のほうがいいよ。私は1年分のお茶を作るからお茶の葉が大きくなって嵩ができてから」とのこと。お茶の産地では「一芯三葉」といって、1つの茎に3枚の新葉があるものを摘めということが常識だったから驚きましたが「嵩ができる」という言葉に自給のあり方を感じ取り、敬服しました。
 嵩ができた頃、我が家のお茶を摘み、教わったようにフライパンで「熱くて軍手の上からもお茶の葉がかまえなくなるまで」炒りました。義母が新しい筵を物置の2階から出してくれたので、その上で揉みましたが、下手くそな揉み様を見かねて、しっかり揉んでくれました。
 義母曰く「あんたがこんなことするんやったらお茶の木を残しとくんやった、お茶揉みがめんどうになって伐ってしまった」。道理で、家の裏にもっとお茶の木があったように思っていましたが、1本しかなかったのです。「この筵はお茶揉み専用にしたらええ、別にしてとっときんさい」。筵ばかりあっても、肝心のお茶の木がなかったら揉めないのに…、もっと早くから私が、お茶揉みをしてお茶を作りたいと意思表示しておけばよかったんだなあと後悔です。このお茶は先日開いたある会で、初めて飲みました。お茶ガラまでいとしかった。

『ひぐらし記』No.14 2007.6.1 福田美津枝・発行 より転載

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Aさんに教えてもらったこと [くさぎ]

kusagi 私の住む伊深町には「正眼寺」という臨済宗妙心寺派のお寺があります。そこは檀家を持たない(厳密には一集落に限ってありますが)、雲水さんの修験道場となっているお寺です。このお寺の精進料理に「じょうざん」というものがあって、それはくさぎという植物の葉を大豆と一緒に煮たもののことです。
 この葉は乾燥して保存するもので、以前誰かにいただいて食べたことがあったのですが、昨年秋にAさんからのおすそ分けをMさんからいただき、来年はぜひ自分でも作ってみようと思っていました。
 その後、Aさんから「くさぎは正眼寺が6月1日に採ってゆでて干されるので、伊深のものはそれ以降に採ります」とお聞きしていたので、5月末にいつ採りますかとお尋ねしたところ、じゃあ今日の午後伊深じゃないところで採りましょうということになりました。
   長袖長ズボン、帽子に長靴、軍手と腰籠を持ってAさん宅に行きました。ご主人Sさんと3人で車に乗り、S市のお宮に向かいました。ここはSさんが以前からくさぎがあると目をつけておられたところでした。Sさんが枝ごと伐り取り、Aさんと2人で葉を摘み取ります。採り終わって、お宮にお礼参りをして、伊深へ戻り、Aさんのうちの奥の方の山際でも摘み、Aさん宅に戻りました。
 庭にくどを用意し、大きな鍋に湯を沸かして葉を茹でます。葉から茶色のあくが出て、2回ごとに湯を変えなければなりません。まきを焚くくどなのであっという間に湯が沸き、次々と茹で上がります。茹ったものはバケツに入れて流し水をかけてさらにあくを抜きます。ここまでで1日目は終了。
 2日目はこれを干すのですが、くさぎの葉は厚くて油気があるのか、1枚1枚広げて干さなければならないのです。前日、茹で上がったものを少しうちへ持ってきて、流し水にあてておいたので、朝早くからうちで干し始めました。広げると案外場所をとるので、いつもしいたけを干す網戸1枚分では足りません。まだ網戸が2枚あるというので持ち出して洗って、さらに笊という笊を総動員しました。
 葉は乾くと少しの風にも飛んでしまいました。やはり側面がある笊でないと駄目でした。一人でやっていると嫌になります。正眼寺ではくさぎ干しは雲水さんの修行の1つとして行うそうです。やはりこれは修行だと思ってやらなければできません。
 午後からはAさんのところへ行って干しました。3人でやると早い気がします。Sさんにコーヒーを入れてもらい、様々な話をしながら、ちょうど用があってきた文庫の仲間のSKさんも引っ張り込んで、おしゃべりもますます盛んになり、こうなると修行というよりも楽しい仕事になりました。
 茹でたものをその夕方、大豆と一緒に煮てみました。じょうざんを村人に教えた「慧玄さん]という正眼寺の開祖様は、村人から食べ物を分けて貰うのに偲びがたく、村人が食べないものを食べようと思ってくさぎを食べることにしてのだそうですが、良くここまで手をかけて食べられるようにしたものだと感心してしまいます。そして、今ではAさんだけが、毎年これを作り続けておられることにも敬服です。

『ひぐらし記』No.14 2007.6.1 福田美津枝・発行 より転載

くさぎを知る会
このひぐらし記や、それを転載していただいたUさんのミニコミ誌「おはようございます」によって、くさぎのことを尋ねる方が多くありました。くさぎのことをさらに調べた結果や、伊深でのくさぎの活用をもっと知っていただきたくて、AさんやM子さんに相談して、勉強会を開くことにしました。チラシを作って配り、ミニコミ誌でも紹介していただき、準備を進めています(チラシや紹介記事を添えてあります)。
                      『ひぐらし記』No.16 2007.8.20 福田美津枝・発行 より転載

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おばあさんの味に孫も大満足・じゃが芋の煮付け

じゃが芋 このところ外へ出かけることが重なって、夕飯どきに帰れないことがたびたびありました。そんな時にはちょっとしたおかずを作っていきますが、母も自分で食べたいものを作りたいらしく、最近では「白菜漬を塩出しして油で炒めてしょうゆで煮たもの」「おから」そして昨夜は「じゃが芋」がしょうゆで煮てありました。
 昨夜の帰りは遅かったので、夕食は外で済ませていましたが、久しぶりのじゃが芋の煮付だったので、1つつまみ食いをしました。甘辛く味が良くしみておいしい。
 朝ごはんの時母が、「昨日はじゃが芋を煮たら○○(次男)が、『今日のじゃが芋はうまい、おばあさん合格や』といって鉢に3つ残しただけで食べてしまった」と嬉しそうに話しました。いつも私が煮るものは塩分も砂糖も控えめなので、甘辛く濃い味のじゃが芋は私にもおいしいものでした。おかずを作ってくれた母にも、おいしく食べてくれた次男にも感謝したじゃが芋のおかずでした。

『日々の暮らし・日々の食べもの 22』より転載

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農と人とくらし研究センターの設立

 私は生活改良普及員として、30数年間、農家の暮らし向上や農村女性の活動を支援する仕事に携わってきました。この時に何かと教えや方向を示していただいたのが、(社)農村生活研究センターというところでした。しかし、行政改革や農政施策の見直しなどの影響を受けて、このセンターがなくなってしまいました。普及員を辞めた後でも、農村で暮らす一人となった身にも、真に豊かな農村の暮らし、農業者としてのあり方を研究し提示されるものがなくなったことはとても残念に思っていました。
 ところが、今年になって、そのセンターにおられた研究員の方々が、新しく「農村の暮らしの中で、次世代に残さなければならない価値あるものを明らかにし、次世代に伝える方法を探すため」に、特定非営利活動法人「農と人とくらし研究センター」を設立され、9月8日に長野県岡谷市で設立総会が行われました。
 メンバーの方々は農村生活を研究されておられる研究者の方がほとんどですが、設立趣旨に沿った活動をされるためには、農村で暮らしたり、農村のことをよく知っている人たちが一緒に行うことがとても大切だと思います。センターではすでにホームページも立ち上げて、センターの仕事を皆さんに知っていただき、参加や協力していただくように呼びかけています。現在、普及指導員としてご活躍中の方々は勿論のこと、農村に暮らしたり、農業に携わっている方々や、農村に住んでいなくても、農業をしていなくても、自らの暮らしを、農業・農村とのかかわりの中で豊かにしていきたいと思うことがあれば、ぜひ、ホームページを見ていただいたり、直接センターの会員になっていただけるように願い、ご紹介します。
 農と人とくらし研究センターのホームページアドレスは http://www.rircl.jp/

特定非営利活動法人農と人とくらし研究センター 設立趣旨書
農山漁村の暮らしの豊かさとは何でしょうか。暮らしを成り立たせるための、自然に働きかけるさまざまな営みや人と人の間の結びつきの中にあるのではないでしょうか。
農山漁村の暮らしの形は、時代の流れによって、大きく姿を変えてきました。その間に、農山漁村の人々は何を獲得し、何を失ったのか。また、変わらずに続いているものは何なのでしょうか。農と人とくらし研究センターは次世代に残さなければならない価値あるものは何かを明らかにするとともに、次世代に伝える方法を探したいと考え設立されました。
国内及び海外の農山漁村での調査研究、情報発信を行うとともに、人が集い学びあう場を作ることを通して、農山漁村の人々の暮らしと社会に寄与することを目的とします。
 (9月8日農と人とくらし研究センター設立総会における設立趣旨書より)

『ひぐらし記』No.17 2007.9.30 福田美津枝・発行 より転載

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くさぎを知る会 ありがたい好評・思わぬ反響

 8月20日に、かねてから計画していた「くさぎを知る会」を開きました。今年の5月末、Aさんに習ってくさぎ採りをし、茹でて干す作業をしてから、くさぎのことをいろいろ調べたり、人に聞いたりしてきました。そのことをまた、何人かに話すうちに、興味を持ってくださる方も増え、そんなことなら一度に伝えたほうがいいと思ってAさんに相談し、Mさんにも呼びかけてくださって、3人で開くことになりました。
 そのことをミニコミ誌編集長のUさんに伝えたところ、早速ミニコミ誌やご本人のブログに載せてくださるという呼びかけ効果絶大で、当日40人近くの方が来てくださいました。その中には美濃加茂市の伝承料理の会の方10人ほどと、以前にくさぎのことをお話ししたら、関心を持ってくださった地元小学校の校長先生方も来てくださいました。
 Aさんから、ご主人の好物であったためにくさぎを作り続けてきたこと、正眼寺開祖様からの教え、正眼寺が修行としてのくさぎづくり、寺のくさぎ料理「常山・じょうざん」のもてなし、くさぎを作ることの意味などが話され、Tさんからはお父さんから伝えられたくさぎご飯のことや、それを通しての正眼寺老師様との思い出などが話されました。私は日本食生活全集(農文協発行)に書かれてあった全国のくさぎ食用の様子や、くさぎという植物の説明、染色材としての使い方などをお話しました。
 そのあとで、Mさんが炊いた常山(くさぎと大豆の煮物)やくさぎご飯の試食をしていただきました。地元伊深の方も大勢来てくださいましたが、くさぎご飯は初めてのよう。伊深以外の方は勿論くさぎを食べたことが初めてでした。
 試食の後、自由な話し合いの場にしました。校長先生は理科の先生なので、くさぎの植物としてのお話をしていただきました。夏に花の咲くくさぎには、アゲハの仲間が寄ってくるそうです。その時に資料として配った掘文子(画家)さんのくさぎに寄せる文は、校長先生から教えていただいたものでした。伝承料理の会からは、地元に伝わるものを取り上げて話し合う場を持ったことを評価していただきましたし、ラジオで聞いたというくさぎ雑炊のご紹介や、くさぎを干して保存するのでなく、冷凍したらどうかなどという提案もありました。小学校の先生は学校でも総合学習などで子供たちと一緒にくさぎづくりをしたいと言っていただきました。嬉しいことでした。
 こうして2時間はあっという間に過ぎ、最後にAさんが「正眼寺の開祖様に教えていただき、650年ずっと伝えてきた伊深のくさぎが途絶えようとしています。大切な伊深のくさぎを今の時代に合う方法で守り、伝えたいと思います」と締めくくり、くさぎを知る会の考えを皆さんにお伝えしていただきました。
 U編集長の配慮で、岐阜新聞から取材に来てくださったので、翌々日の朝刊の岐阜版(地域の中濃版ではなく)に大きく載せていただけました。その新聞記事をもとに、ちょうど1ヵ月後の9月20日、岐阜ラジオの生放送にも10分間出ました。若い女性レポーターが取材に来られ、Aさんと私にインタビューされました。でも、これはお昼過ぎの番組なので、聞いてくださった方は少ないのではないかと思います。
kusagi このような、メディアの反響だけでなく、もっと嬉しい反響も次々いただきました。会を開いた頃はくさぎには、赤い萼に白い花、ユリのような香りの花が咲き、やがて赤い萼に青い実がなる頃なので、「くさぎがどこにあるかわかるようになりました、来年はそこへ採りに行こうと思います」などとおっしゃってくださる方も何人かあります。私も方々へ出かけるたびについ、そこにくさぎがあるか探しています。
 「紀州ではくさぎ料理が仏事に欠かせないと言うところがあります」「くさぎの実を染料にするときには萼と実を別々にすることもあります」と教えてくださる方もあり、「くさぎの会は次はいつですか」などとも聞かれます。また、Aさんはご主人のアドバイスにより、くさぎの新しい干し方を試しておられます。
 まず、伊深にくさぎ料理があること、それを皆さんに伝えようと思って開いた会ですが、皆さんのこうした声にお応えしながら、くさぎの会を進めていき、現代の暮らしにあった方法でくさぎを伝えていこうと思います。

『ひぐらし記』No.17 2007.9.30 福田美津枝・発行 より転載

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イノシシ出没 田んぼを守れ!

inaho ずいぶん前から、山奥の田んぼにはイノシシが出てきて、刈り取り前の稲をなぎ倒したり、踏み荒らしたりしていました。わが家も一番山奥の田んぼは、イノシシに荒らされてから10年ほど、休耕にしています。そこは小さな田んぼが10枚くらいあった沼田で、田植え機もバインダーも入らないので、自費で耕地整理をして3枚にし、暗渠排水も施して、機械の入るいい田んぼにしたのですが、何年も耕作しないうちにイノシシに荒らされました。杭を打ち、竹で柵を作っても効果なし。泣く泣く耕作放棄をしたのです。
 それ以外の田んぼにはまだイノシシが来ていなかったので、安心して稲を作っていましたが、昨年秋、その次に奥の田んぼに、刈り取り間際に入られました。その周りには数枚の田んぼがあったのに、なぜかうちの田んぼだけでした。その田んぼのすぐ上は山が張り出してきているところだったのです。
 今年は人家の近くの田んぼにも、早くからイノシシが入ったと言う情報が届きました。昨年入られたうちの田んぼにすぐ近くの、Tさんの早いコシヒカリの田んぼは、刈り取り間際にイノシシに入られました。Tさんもこの頃のイノシシ情報により、山側の畔にはビニールシートを張り巡らしていたのですが、川側の畔は無防備だったため、そこから入られました。
 そこでわが家も昨年入られた5aの田んぼに3万円余りを投資して電柵を取り付けました。ホームセンターで資材を買い(JAは取り寄せるのに時間がかかったので)休日に家人と2人で半日がかりです。昼間は大丈夫だろうと、夜だけ電気が流れるようにセットしました。単2の乾電池8個で、驚くほど強い電流が流れます(実験済み、ふと肩が触れたら強い衝撃が来ました。心臓びっくり)。9月末にJAのコンバインで刈り取ってもらうまで無事、投資効果が現れてヤレヤレでしたが、電柵の代金分約2俵分の増収は勿論ありません。イノシシ被害の減収を防いだということでした。
 わが家の前に川が流れ、その向こうに小さな田んぼが10枚ほど広がって、その先に、先日わが家に来た若い人たちが"トトロの山"だといった小さな山があります。その山際のIさんの田んぼの1つがつい最近、イノシシにやられました。トトロの山から出てきたようです。10枚の田んぼの周囲3方は川を挟んで、わが家始め人家が取り囲んでいるので、よもやこんなところまでと無防備だったのです。このイノシシの出現には近所一帯が大きな衝撃を受けました。いよいよここまで来たのかと。
 Iさんは弟妹家族も呼んで一家総出で荒らされた田んぼの稲を手で刈り取り、残った田んぼの周りをトタン板で囲みました。見渡せば、電柵やアミ、ビニールシート、トタン板など、その家々の工夫によりイノシシ対策がされている田んぼが、今年はずいぶん広がりました。それだけイノシシが行動範囲を広げ、生活圏を拡大してきました。これからますますこの範囲は広がるのか、田んぼを守る苦労も広がります。

『ひぐらし記』No.17 2007.9.30 福田美津枝・発行 より転載

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原野に戻る田んぼ

kikori 山の果樹園に用がありました。ちょうどそこに近いところで草を刈ると家人が言ったので、一緒に軽トラックで行きました。果樹園までの道は左側が山で、右側には何軒かが持っている田んぼがあって、一番奥がわが家の耕地整理後耕作放棄田で、その奥に果樹園があり、その先は山になっている洞です。
 山奥の田んぼを耕作している頃は、まだ義父も元気で、稲刈りや脱穀の頃には小さかった子供たちと一緒に、義父の運転するテイラーの後に付けてあった荷車に乗って、この田んぼまでを行き来していました。ゆっくり走るテイラーの荷台から、他の家の仕事の様子や、周りの山の木々、アケビの実や野菊の咲く様子などを眺めながら、ゴトゴトとオオバコなどが生えている道を行くのは楽しいものでした。
 ところがびっくり。この日、山の果樹園へ向かう道には雑草がみっしり生えて、車の轍すら見られません。左側の山の木の枝や、丈高い雑草は道へ張り出し、右側は生い茂っている草で畦か田んぼかわからないくらい。すでに雑木の生えている田んぼもあります。軽トラックはまるで原野の中を走っていくのです。
 休日のたびに山の果樹園へ手入れや収穫に行き、その先の山でしいたけを採り、耕作放棄の田んぼやその畦の草刈に来ている家人は、その日も、行く先を阻むように生い茂っている他所の家の田んぼの畦の藪を刈り払いに行ったのでした。
 この洞の田んぼを作っていた家々は、わが家も含めてすべて、ここを休耕田にしてしまいました。両側に山が迫り、その山の手入れをしなくなって、生えている木がどんどん大きくなり、田んぼがますます日陰になってきました。その上イノシシの出現です。それに加えて転作面積が増えたため、いっせいに条件の悪いこの洞の田んぼを作らなくなりました。それでも、畦草を刈り、田んぼを起こすなど、手入れはされていました。しかし、手入れをしていた人たちが亡くなったり年をとったりして、どのうちも年々手入れが行き届かなくなり、すこしずつ原野になっていきました。わが家の田んぼ近くの、いつも軽トラックを停める場所はSさんの山があって、そこは下草が刈ってあり、その奥の田んぼに通じる道も草が刈られていました。原野の中のオアシスのようでした。
 家人曰く「Sさんがやれんようになれば荒れるやろう、息子はそこまでやらんからなあ、あそこの、道のうえに山の木がせり出してきとるところがあるやろ?あの枝を伐って欲しいと持ち主のTさんに頼みに行ったら、わしはやれんで息子にそう言っとくと言っとったけど、息子はぜんぜんやってくれへん。無理もないけどなあ」。
 確かにSさん、Tさんの世代は小さい時から持ち山の仕事を親についてみようみまねでやってきたからできたし、草も刈らず、枝も払わずにいて、人に迷惑をかけるようなことはしてはいけないと言う心持が大いにあったのだろう(このことはいつも義父母から言い聞かされてきた)と思いますが、その次の世代はすでに山仕事の経験はなく、今の自分の暮らしに追われている時期で、百姓仕事は田んぼ作りが精一杯、その田んぼ作りもしなくなった人もいます。村の決まりも言い習わしも途絶えてしまっています。
 われに返って見渡せば、わが家の田んぼも畦も草ぼうぼうです。亡くなった義父が「田んぼだけは荒らすな」と言っていたことを、家人は今のところ守って田んぼの中も畔も定期的に草刈をしていますが、この夏の暑さは草刈どころではなく、サボっていたためです。何よりもまず、わが家から原野解消をしなければならないのでした。

『ひぐらし記』No.17 2007.9.30 福田美津枝・発行 より転載

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若きセールスマンの芋作り

 息子と、彼の友人M君が、わが家の空き畑でさつま芋を作っています。蔓が伸びて、順調に育っていますが、草も負けずに育ち、今は草取りに追われているようです。  彼らは3年ほど前に、わが家の山の果樹園にりんごの木を植え、時々手入れをして育てていましたが、いっこうに実がならず残念がっていました。そこで、成果がもっと早く得られるものをと思ったのか、この春「オバサン、畑で何かを作りたい」とM君が相談して来ました。
 「沖(と呼んでいる地名)の畑なら空いてるで、そこで作ったらいいやん、今から作るんなら、手間がかからんさつま芋なんかいいんやない」と答えると、彼らは早速その準備を始めました。家人はその話を聞いて、沖の畑をトラクターで起こしてやりました。
 さつま芋の苗は叔母(義母の妹)が作るのをいつも分けて貰っているので、彼らも義母を連れて叔母の所に行き、50本ほど分けて貰ってきて、義母の指導のもとに鍬で畝を立て、苗を挿していきました。その後、晴天ばかり続いたので、苗がつくかどうか心配していましたが、何とか9割ほどが根を張り、芽も伸びだしました。これに気を良くした彼らはもう2本畝を立て、どこかで新品種とかの苗を買ってきて、挿したようで、そこには品種名を書いたラベルが立ててありました。
 ところで、これまで彼らと書いてきましたが、実際は、息子はM君に引きずられて嫌々やっていて、苗挿しを指導した義母は「M君は一生懸命やっているのに、あの子はなっちょらん、全然やる気がない」と怒っていました。休みの日にする手入れも、いつもM君に引っ張られています。M君は一人で草引きに来ていることもあり、時々息子に「福ちゃん、オジサンにばっかりやらせんで、ちょっとは自分でもやらなあかん」などと小言を言っています。家人は時々枯れた苗を補充したり、草引きや水遣りをやって、時々畑でM君と一緒に仕事をしているようです。
 M君はセカンドカーに軽トラックを持っていて(彼の家は農業はないのに)、休みの日はそれに乗って畑にきます。畑仕事が終わるとうちに来て、それがお昼時や夕飯時であれば、家族と一緒にご飯を食べて、殺風景なわが家の食卓を賑わしてくれます。
 そんな時のある日、「M君は百姓家に生まれたわけでもないに、何でこんな畑仕事をするん」と聞いたら「なんか、自分で作ったという実感を持ちたかったんです。たまたま福ちゃんちが百姓やってるんで、ここでならりんごを作れると思ったんやけど、りんごが成らんで、他に何か作りたいなと思って」そして「僕ら自動車売っているやないですか、そやけど僕が一生懸命売らんでも、車が欲しいと思ったらお客は買いに来て売れていく。そやけど畑仕事は僕がやってやらんとさつまいもも育たん、ああ自分でやっているっちゅう実感があるんです」びっくりびっくり。M君曰く「福ちゃんはこうも土地持っとるのにやりたがらん、小さい時からずっと田植えや稲刈り手伝わされて嫌になったと言っとった。僕にしてみればうらやましい限りです」。
sweetpoteto 息子によれば、M君はトヨタ車販売会社の営業所でも実績1,2を争うセールスマンなのです。その彼が、物を作る実感を得たいと言って畑仕事をする。30歳の若者が、成績優秀のセールスマンの彼が、土に触れ、土の中から確かなものを作る手ごたえを求めている。嬉しいのか、感心したのかなんとも言えない感情が湧いてきました。
 「オバサン、さつま芋が採れたらどうしよう、食いきれんよ」と言うので、「M君のトラックに積んで売りに歩くか、焼き芋屋でも始めようか」などと戯れています。それまでには休み毎の草引きが続きます。今は、若きセールスマンの芋つくりが楽しみ事の1つとなっています。

『ひぐらし記』No.15 2007.7.15 福田美津枝・発行 より転載

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http://www.rircl.jp/ NPO法人 農と人とくらし研究センター